夷森(えびすもり)古墳は、前回の「へっぴり塚古墳」から800m程西、隣の谷戸にあります。
平地にあるので遠目にも目立つ墳丘。
道路に面して解説板。4世紀末ごろに築かれた径50m近い大きな円墳で、幅20mの周溝あり。別称は大森塚古墳。
町指定史跡 夷森(えびすもり)古墳(別称:大塚森古墳)
指定年月日:平成13年(2001)3月1日
史跡の概要
夷森古墳は県北最大級の規模を持つ、古墳時代前期の大型円墳です。平成7年(1995)から5年間にわたり東北学院大学による発掘調査が行われ、造営当時の姿や埋葬施設の構造などが明らかになりました。
墳丘は直径46.7m、高さ7.8m。頂上部分は平坦で、途中に二段のテラスと呼ばれる平坦面を持つ三段築成になっています。斜面部分には河原石が葺かれ、周囲には幅20mほどの堀(周濠)が巡っていました。
埋葬施設は北東から南北に長い、粘土で覆われた長さ8mほどの2つの割竹型木棺で、頂上部分に石敷きの排水施設を伴う深さ1.7mほどの竪穴(墓壙)を掘り、東西に平行して、ほぼ同時に埋葬されていました。副葬品は西側の棺からガラス小玉と管玉の腕飾り、漆塗りの布製品、矢の一部などが見つかっています。
古墳が造られたのは、埋葬施設の構造や出土した土器の特徴などから、今から1600年以上前の4世紀末ごろと推定されていて、被葬者は初期大和政権の勢力が及んだ最北の地にあって、その一員として、この地域一帯を支配した首長(豪族)と考えられています。
地元では昔から大塚森と呼ばれていたようで、安永5年(1776)の米泉村風土記御用書出に「古塚 大塚森 十一間半 幅九十六間」と記述されています。
平成20年12月1日設置 加美町教育委員会 (財)宮城県文化財保護協会
草の勢いがよい農道を西に進みました。
近づくほどに迫力が増します。
斜面に踏み跡があったので、登らせていただきました。
墳頂には土嚢も。調査が続いているのでしょう。
樹木が繁っていましたが広い墳頂でした。
樹木の間から水田が。
墳丘を西側から。
東側から。左端に標柱が写っていますが、行けそうになかったです。
スマホで撮ると強調される空の青。
この後、南南西に200mほどにある大黒森古墳を目指しました。
古墳マップさんの位置情報を頼りに、せめて標柱をと思ったのですが…
倒木に阻まれて撤退。
右が大黒森古墳がある丘。
次に訪ねた古墳群は、左奥の薬莱山(やくらいざん)がきれいに望める立地でした。