今回の土佐墳行で、最後に訪ねた古墳が朝倉古墳でした。
高知駅から西に6㎞ほど、JRと並行するように走る「とさでん伊野線」の朝倉神社前駅から徒歩6分と訪ねやすいところにあります。
はじめに朝倉神社に参拝。参拝者用の駐車場を使わせていただきました。
拝殿前から振り返って。
拝殿を回ると、奥に本殿が。
葺き替えたばかりの銅の屋根が輝いていました。
塗り直されたばかりの板絵や柱梁、組み物なども豪華絢爛でした。
背後の赤鬼山は神社の御神体だそう。
高知県史跡 赤鬼山
標高約100mの赤鬼山は、古くより朝倉神社の御神体といわれており、遠くから見ると美しい円すい形の山容をなしている。このような山は、ときに奈良県の三輪山と同じように神のこもる神奈備(かんなび)山と呼ばれることがある。山の中腹から弥生中期の土器も発見されている。神奈備山として県史跡に指定されている。
平成4年(1992)2月 高知市教育委員会
その赤鬼山の南裾に沿って西に歩くと山の斜面に、露出した石室が見えてきました。
ズームして。
そのまま道路を進むと、石に刻まれた案内表示が。
その先の小径を降りていきます。
大きな天井石が露出していました。入室禁止の立て札あり。
斜面の下側から見上げて。
迫力の開口部。羨道の先に両側の袖石と、その上の楣(まぐさ)石が見えています。
現存する石室長は、5.4m(玄室)+2.6m(羨道)で7m。
県指定史跡 朝倉古墳
朝倉古墳は、南国市岡豊町の小蓮古墳、中村市の古津賀古墳と並ぶ土佐の代表的な後期古墳のひとつである。封土は取り除かれ石室の石組は露出しているが、構造は両袖の横穴式石室である。遺骸を安置する玄室の奥壁は一枚岩で、長さ5.4m、高さ2.4m、側壁は2枚の石で2段積みである。玄室と外部との通路である羨道は、現存部で長さ2.6m、幅2.13mを測る。
明治の初期に発掘され、須恵器・馬具などが発見されたといわれるが、遺物は存在しない。
構築時期は石室構造からみて7世紀前半と考えられる。
平成元年3月 高知市教育委員会
玄室の奥壁はぴったりと、はまっている一枚岩です。
フラッシュで。
天井石を真横から。
奥壁の背面側から。
南東方向の眺め。右手の丘との間に、土讃線と「とさでん」が通っています。