墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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出雲国庁跡・六所神社(国府総社) 島根県松江市大草町

大草古墳群のある丘陵から、意宇川を挟んだ北側には出雲国庁跡。

 

ここが「古代出雲の政治・行政・文化の中心地」

事前に調べきれていなかったので、いきなり国庁跡が現れてちょっと驚きました。

古代出雲の中心地 出雲国府跡へようこそ
今からおよそ1300年前(奈良時代初め)、全国60余国に地方政治の中心となる国庁がつくられました。国庁の周りには様々な公的施設がつくられ、これらをまとめて「国府」と呼んでいます。
国府のうち、国庁は発掘調査によって六所神社境内周辺にあったことが明らかになりました。この付近は国庁の正門があったと推定されます。ここはまさに古代出雲の政治・行政・文化の中心地だったのです。

 

しまね観光ナビのサイトによれば、昭和43年(1968)から3年かけた調査で確認された遺構をもとに復元整備されたそうで、掘立柱跡の列柱で建物跡をしのべる国指定史跡。

出雲国庁跡 | しまね観光ナビ|島根県公式観光情報サイト

 

広い土地に幾つかの柱群があり、国庁の規模の大きさが想像できました。

 

この方向(北北東)の1.5㎞ほど先には出雲国分寺跡もあります。

 

すぐ隣の木立は六所神社の境内林。

 

六所神社の静かな境内。国庁の建物はこの裏手あたりになるそうです。

 

出雲の神社は、本殿が見上げるほど大きかったです。

 

平入の拝殿に対して本殿は妻入り。拝殿屋根上に顔を出す、本殿破風側の千木。

 

国府総社としての解説がありました。

国府総社
この神社は国府の総社と呼ばれ、古文書にもしばしば登場します。総社とは国司が出雲国内の神々を合せ祭るなど、国内の神社を統括する機能を持っていました。
東寺は国庁の隣接地にあったと考えられていますが、平安時代以降に国府が衰退していくと、神社はかつての中心地に移転し、この地区の氏神として信仰され現代に至っています。
島根県教育委員会

 

神門から南を望んで。

すぐ前が意宇川の土手で背後が大草古墳群がある丘陵。

さらに、ここから西に1.2㎞に岡田山1号墳がある八雲立つ風土記の丘が、北西に1.9㎞に山代二子塚古墳が立地しています。

遺跡の密度が濃いエリア。