塩津神社古墳を見た後は、北に700mほどの大成(おおなり)古墳を目指しました。
山陰本線の荒島駅の南側の山林に古墳はありますが、現状でグーグルマっプにはピンが立っていません。
駅前の様子。古墳は右の丘の上だと思います。
道路沿いに標柱があり、奥に階段が見えました。
階段を上がると、木野山神社。
鳥居から振り返ったところにも金網があり、これがルートのようでした。
本当にここを進んでよいものか迷いながら、上半身で草をかきわけるように登っていくと山林に。
その先に説明板を見つけたときには、ほっとしました。
が、落ち着きが足りなかったようで写真はブレブレ。
検索したらこちらの方の記録の写真に行き当たり、書き起こしをさせていただきました。
古代出雲王陵の丘 巡り(島根県安来市) - 2021年02月10日 [登山・山行記録] - ヤマレコ
国指定史跡 大成(おおなり)古墳
古墳時代前期(4世紀頃)では造山1号墳とともに全国最大級の方墳
墳丘:中海を見下ろす丘陵斜面を巧みに利用して造られています。
古墳の大きさは、発掘調査の成果から東西約60m、南北約44m、高さ約6.5mの大形方墳に復元されています。
埋葬施設:古墳の中央にある竪穴式石室は長さ7.5mを測ります。この規模は出雲地方では最大であり、全国的にみてもかなり大型の部類に入ります。
この石室の中には長大な割竹形もしくは舟形の木製の棺が納められていました。棺のかなには当時出雲地方では最も勢力があった豪族が、三角縁神獣鏡など豪華な副葬品とともに葬られていました。
実測図のアップ(説明板の位置も記していただけるとありがたかったです…)
説明板の後ろの高まりが墳丘だったようです。
現地にはベンチまであるのに、墳丘の確信が持てず心が休まりませんでした。
じこまさんのサイトに、同じような位置からの写真がありました。
https://kofun.dosugoi.net/e1072100.html
竹が密生していて歩き回るのは難しかったです。
”高まり”側から説明板を。
説明板の竪穴式石室が開口しているものと思ってしまったのが敗因かも知れません。
下記のサイトで、現在は埋め戻されたその写真が見られます。
明治44年に開墾中に発見され、竪穴式石室からは三角縁神獣鏡や素環頭大刀ほかが出土したそうです。
その鏡の写真は下記のサイトで見られます。
平家蟹さんが訪ねた時(1989年)は竹がほとんど無かったのですね。
元の”ルート”を下る際に見えた荒島駅。
北西方向には中海が望めました。
下る際も慎重に。マダニが怖いので軍手して、首にタオルで。