墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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荒神谷遺跡 島根県出雲市斐川町神庭

前回の加茂岩倉遺跡と今回の荒神谷遺跡は直線距離で3.4km。

こんなに近かったとは。

 

広い駐車場や博物館など施設が充実。

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わくわくしながら博物館に入ると、なんとこの一週間が展示替えで休室でした…(この日は2021年10月8日)

翌週からの企画展「四隅が出現したころ~副葬品は語る」も非常に魅力的だったので、それもショックでした…

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グッズコーナーも外観だけ。

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遺跡エリアのジオラマ。左の黒い建物が当博物館で、その上の谷戸の左斜面に荒神谷遺跡があります。

こんな奥まったところに、銅剣を358本も埋めたとは❕

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外へ出て現場へ向かいます(中央奥を左に入ったところ)

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遺跡の斜面がありました。

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振り返った谷戸。

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遺跡斜面に正対して(近寄ることはできません)

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現地説明板。

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国指定史跡 荒神谷遺跡
この史跡は、昭和59年(1984)農道予定地の発掘調査で全国最多の銅剣358本が出土、翌年に隣接地で銅矛16本、銅鐸6個が出土し、日本古代史最大の発見として大きな脚光を浴びた遺跡である。これら弥生時代の青銅器群が埋納されていたのは、仏経山(「出雲国風土記」記載の神名火山)から延びる山間の小さな谷斜面で、現在は発見当時の状況が再現されている。
出土した銅剣はすべて「出雲型銅剣」ともいわれる中細形C類とされるもので、全長50~53㎝あり、うち344本には基部に×印が刻まれている。同型式の銅剣は山陰地方でこれまでに3ヵ所11本が出土しており、地元産とする説が強く、この地方の弥生時代を考えるうえで鍵を握る青銅器である。銅鐸は高さ約22~24㎝の小型品6個で古い形式である。銅矛は長さ70~84㎝で、刃部を綾杉文に研ぎ分けた例があり、北部九州産と考えられている。
青銅器が埋納された時期は、弥生時代中期後半から後期はじめと考えられており、いわゆる邪馬台国が登場する以前にあたる。この時期、ここに多種類の弥生青銅器が大量にかつ一括して埋納されたということは他に例がなく、出雲地域に近畿地方や北部九州と同じほどの勢力が存在したということを証明するものである。また、学術調査で青銅器の埋められた様子が確かめられた貴重な例である。出土青銅器は国宝に指定されている。
昭和62年(1987)1月8日指定
平成12年(2000)3月 島根県教育委員会 斐川町教育委員会

 

谷の向かい側に登って、谷戸を半周し、現場斜面の上を通って戻る見学路がありました。

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1984年に銅剣が。

銅剣発掘再現 1984年8月の状況
穴の中に4列に並べて埋めた銅剣がみつかりました。左から34本、111本、120本、93本合計358本です。右の銅鐸や銅矛と同じく、銅に錫を加えた合金の青銅を材料としたものです。ただし、政策当初は、このような青い色ではなく、金と銀との中間のような光輝く色でした。銅剣は、本来は短い柄をつけた短剣で、突き刺す武器です。それが弥生時代の日本では扁平な大型品になり、祭りの道具に使われるようになります。この銅剣も祭りの道具で、柄もつけなかったものでしょう。刃を研いですり減った痕跡もありません。ここでは、銅剣の出土した地面の上に30㎝ほど土を盛って発掘当時の地表面を再現し、そこに青銅製の複製品を出土した状態で置いてみました。

 

翌年に、銅鐸と銅矛も。

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銅鐸・銅矛発掘再現 1985年8月の状況
左の銅剣がみつかった翌年、銅鐸6個と銅矛16本が一つの穴のなかに埋めた状況で発掘できました。銅鐸は中に棒をつるして鳴らします。弥生時代の農村では、その音が鳴って祭りが進行したのでしょう。ここで発見された銅鐸は、細かくみると、文様や形などに他にはない独特の特徴をもつものも含まれています。銅矛はもともと柄をつけて槍のようにつかった武器ですが、ここにあるものは、幅も広く、大きくなり、柄をさしこむ根元の穴に鋳型の土が詰まったままで、柄を差しこむこともできません。刃の部分に光をうけると独特の反射をした研ぎ方をしたものもあります。悪を倒す威力をもった祭りの道具だったのでしょう。銅矛は北部九州を中心に中・四国からも出土し、銅鐸は近畿地方を中心に東西に広がっていますが、この2種類が一緒にみつかったのは、ここ荒神谷遺跡だけです。

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蜘蛛の巣だらけの見学ルートでしたが、いろいろな視点から現場を見ることができました。

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2021年10月上旬訪問

 

出土品は、出雲大社のそばの島根県立古代出雲歴史博物館に、美しく展示されています。(壁に掛かっているのはレプリカ)

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2020年に「出雲と大和」展で、上野にも来てましたね。

「出雲と大和 特別展:日本書紀成立1300年」 @東京国立博物館・上野 - 墳丘からの眺め