墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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白井塚古墳・現地説明会 東京都狛江市中和泉

1か月ほど前の6月18日、狛江市の白井塚古墳での発掘調査見学会に参加しました。

 

途中に野菜の無人販売店がある、住宅と畑地が混在するエリア。

墳丘は白井農園の敷地内ですが、見学会用に細道が設けられていました。

 

2023年の4月には白井塚古墳公園として整備されるようです。

 

受付のテントでは、出土した大刀や直刀の破片、鉄鏃などを間近で見られました。

 

テントから振り返った竹藪の先が墳丘のようです。

 

回り込んでいくと意外に大きな墳丘が。


土嚢で補強された斜面を上がります。

いただいたパンフによれば、白井塚古墳は直径34m、高さ4mの円墳で、幅10.4mの周溝を持つ、5世紀後半~末頃に築造された古墳と考えられているとのこと。

葺石や埴輪は持ちません。

 

向かって左(南)の裾。

 

右(北)の裾にはブルーシートが。

 

墳頂に上がって振り返って。


墳頂の様子です。左の「>」の溝のあたりに、以前に祠が建っていたとのことですが、そこからは埋葬施設は見つかっておらず、右奥(墳丘の北寄り)にて、今回(令和2・3年度)の調査で3基の埋葬施設が出ました。

 

説明会の様子。説明の方が立つあたりが墳頂の中心です。

中心部近くからはテントで見た直刀の破片や鉄鏃は見つかっていますが、埋葬施設が見つかっていないとのこと。(パンフより)

築造時の墳頂の上面は、見学の方が立つ地面より1mほど上にあったようですが、中央部にはもともと埋葬施設が存在したが削られて無くなってしまったか、当初から無かったかなどは今のところ明らかになっていないそうです。

 

今回見つかった3基の礫槨。

 

右の1基は墳丘の縁で、半分ほどは斜面上に崩落していますが、左の2基は良好な状態で残っています。

 

左端(南側)の礫槨は長さ3.7m・幅1.2m。奥の先端側の幅が狭まっていることや出土した直刀の切先が西を向いていたことなどから、木製の棺内に頭を手前側に向けて埋葬されたと考えられるとのこと(パンフより)

 

中央の礫槨。大きな石がこぶし大ほどです。

奥の土嚢の下が現在の地表面なので、そのすぐ下に残っていたことになります。

もし当初は天井石があったとしても持ち去られてしまったのでしょう。

 

パンフによれば、狛江市でこれまでに確認されていた礫槨を持つ古墳は絹山塚古墳、松原東稲荷古墳、東和泉6号墳の3基(それぞれ主体部は1基程度)

他の多摩川流域でも、主体部が礫槨である古墳も3基しか見つかっておらず、白井塚古墳で礫槨3基並びは極めて特徴的と考えられるそうです。

 

説明会後、周囲の道路を回って西側から見た墳丘。