墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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須田平野古墳・平野山上古墳  京都府京丹後市久美浜町須田

湯舟坂2号墳の手前にあった、古代の丘公園。高床式建物と竪穴式住居が復元されています。

 

入り口の門は雪の重みで倒れていました。

 

林道への入口は雪で埋まったまま(2022年3月12日)

 

公園のトイレ。

 

その壁に「須田伯耆谷 古代の丘探索絵地図」が掲示されていました。

さきほどの雪の先は大坂峠へ向かう旧出石街道のようでした。

 

また、この伯耆谷の周囲は古墳だらけ!
近くの平野古墳のほかに、二枚谷古墳群、コウ田古墳群、上日冷古墳、王の宮古墳群、天王谷古墳群、下山古墳と下山遺跡等々。

 

解説部分のアップ。

古代の丘公園
平成19年から公園として整備を始め、現在は竪穴式住居と高床式倉庫を備えた伯耆谷の拠点施設となっています。平成24年には古代の小川も完成しています。

 

須田平野古墳、平野山上古墳、ユリヶ鼻古墳散策道などの解説もありました。

 

須田平野古墳は公園から100mほど下った道路脇に入口が。

 

詳細な解説板。ここ須田地区は沢山の古墳があるので「王家の谷」とも言われるそうです。

須田平野古墳
京丹後市久美浜町須田区には、100基を超える古墳が分布しています。その中でも、須田平野古墳は墳丘と石室が完存する唯一の古墳です。直径16.4mの円墳の中央に設けられた両袖式横穴式石室は、玄室(奥の墓室)の長さ4.3m、幅2.1m、高さ2.0mで、丹後最大級の規模を誇ります。横穴式石室の形態や構築方法から、金銅装双龍環頭大刀をはじめとする豊富な副葬品が出土した湯舟坂2号墳に先行する6世紀後半に、この一帯を治めた有力者のお墓と考えられます。

・須田平野古墳と須田区の古墳
須田平野古墳のある須田区には、須田平野古墳や湯舟山2号墳以外にも沢山の古墳があり、「王家の谷」と呼ばれています。

・地域の中の須田平野古墳
1923年に刊行された「京都府熊野郡誌」に詳しい記述があり、古くから地元では知られた古墳でした。また、2005年には旧高龍中学校が総合学習の中で古墳の案内板を制作するなど、地域で長い間大切にされています。

・湯舟坂プロジェクトの活動
2020年度から京都府立大学や京丹後市教育委員会、須田区が協力して、湯舟坂2号墳をはじめとするこの地域の文化遺産の魅力再発見に取り組んでおり、様々な調査や普及活動を行っています。この看板もその一環で須田区と学生たちで企画しました。

製作:京都府立大学文学部考古学研究室、京丹後市久美浜町須田区、京丹後市教育委員会
設置日:2022年2月20日

 

金網は開閉がきくタイプだったので入らせていただきました。

階段を上がっていくと左手の斜面上に開口部が。

 

大きな開口部。

 

フラッシュを焚くと、続く羨道部の先に奥壁が。

 

玄室に入って。蝙蝠がいました。

 

奥壁から振り返って。両袖式ですが片方が大きく。

 

自然光で。

 

玄門あたりから。


外へ出て、開口部を横から。

 

須田平野古墳の背後の斜面に階段の跡があったで、解説板にあった平野山上古墳も目指してみることにしました。

 

途中で道を見失いましたが、無事に頂上に到着。倒れた標柱に「平野山上古墳」とありましたが、どこが墳丘かはよくわかりませんでした。

公園にあった説明板では下記の記述でした。

平野山上古墳と伯耆谷展望台
山上にある古墳で伯耆谷の農村風景を一望するとともに、天気が良ければ、遠くに日本海や太鼓山を望むことができます。

 

確かに良い眺め。ちょっと木が育っていますが。

 

伯耆谷=王家の谷の様子。

 

その先の幅広の谷。日本海までは望めませんでした。

 

倒れた標柱の位置から振り返ったところにも、気になる土盛りがありました。

 

上の写真の右端には「順路」が写っていますが、その先の帰路の様子。

下りの方が迷いやすいと思います。