赤坂今井墳墓を見た後は、この日に訪ねたかった範囲で一番西の古墳を目指し、50分程ドライブ。
久美浜湾の北縁で、気持ちの良い景色に惹かれて思わず小休止。
ここはまだ京都府(京丹後市)です。
左の山は「かぶと山」、その東麓の古墳には午後訪ねました。
久美浜湾、大きなホテルもあるリゾート地でした。背面の北側には日本海に面した葛野浜海水浴場もあります。
久美浜湾と海とを連絡する海峡にかかる人道橋(みなと小橋)
西側の岸から久美浜湾を。
右は湾内に南から突き出た半島で、マップを見ると先端近くに大明神古墳群のピンが立っていますが、舟でしか行けないようだったので諦めました。
こちらへ行けば、到達できるのでしょうかね。
久美浜湾から西に峠を越えて兵庫県豊岡市へ。
円山川を渡って海岸崖上の道路を進むと、才ノ神古墳の碑があるところに到着しましたが…
碑のそばの説明板。古墳には触れられていませんが、興味深い内容です。
才の神奉斎の古跡
田久日部落は日本海岸に点在する〇〇地にある平家部人の集落の一つと伝えられている。
古くからの種々の伝承が残されているが、このあたりを才の神といって現在は立詞ものこっていないが立木だけを目印として里人等は才の神についていろいろの云い伝えをしている。
才の神は塞神と云って八街彦神・八街姫神・久那戸神の三神を云い、道の要衝に祭って道行く人馬の安全を祈る道路の守護神である。此所に才の神を奉斉した。
古跡は田久日部落と海上を一望に見はらかし閉経の落人等が外部との一切の折衝を断って陸の孤島と呼ばれた。この地に住みつき外来の者を警戒しその侵入を防ぎ止めるために塞神を鎮斉したものと考えられる。
外来の者を警戒する行事として今も村の入口の高所から見張り「合図を互いにかわす呼び合い」の行事が正月に行われているが、これとも深い関係があると考えられる。
昭和22年北但開発海岸道路が開発されることになり、この一帯を陸上自衛隊によって掘り拓された際、地中より多数の祭具と思われる土器の破片を発掘したところである。
竹野町
そこから望む日本海。
道路は駐停車ができない2車線ですが、ここには駐車スペースがありました。
碑の横に下へ降りる小道が。
少し降りて振り返って。
大きな岩と小屋跡。
急な斜面を段々畑にした跡がありました。平家の末裔の人々が築いたのでしょうか。
気になるところに気になる石がありましたが、ルートがわからず近寄れず。
小道は海まで降りて行けそうでしたが、上り返すのも大変そうなので途中で引き返しました。(古墳の碑は標高65m)
小道から東方向の眺め。