墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

広峯15号墳(広峯古墳記念公園) 京都府福知山市東羽合町

前回の稲葉山古墳群の2.5㎞南西、福知山駅から0.5㎞南にあるのは広峯古墳記念公園。

 

途中で福知山城のそばを通りました(信号待ちで)

f:id:massneko:20220319085912p:plain

 

ハローワークの南隣にその公園はありました。駐車場(3台分)完備。鉄の門も。

f:id:massneko:20220319085930p:plain

 

目の前に後円部。解説で3分の2サイズの復元と、書き起こした今になって知りました。

f:id:massneko:20220319090001p:plain

 

その解説板。

f:id:massneko:20220319090015p:plain

広峯古墳群と15号墳
市街地を一望のもとに見渡すことができる駅南の地に、古墳時代初頭(西暦300年頃)から中期(550年頃)にかけて、30数基におよぶ古墳群が造られました。この古墳群は地名をとって広峯古墳群と呼ばれています。昭和61年(1986)福知山駅南土地区画整理事業によって発掘調査が行われました。
丘陵最高所に築かれた15号墳は、後の時代にかなりの削平を受けていましたが、古墳の形は前方後円墳で、全長40m、後円部径25mの規模が推定されます。墳丘は盛土を用いず地山を削り出して形成され、段築・埴輪・葺石などの外表施設・装飾は造られていません。
埋葬施設は、長大な木棺を墓壙に直接納めたもので、土取りによって半分近くが失われていましたが、長さ約10m・幅5mを測る墓壙ん、長さ3.6m・幅0.7mの木棺が納められていました。木棺は腐朽していましたが、内面には朱が塗られていました。
木棺の内部には銅鏡一面が置かれ、その上方の副室に碧玉製管玉2・鉄剣1・鉄斧1・鉄鉇1が納められていました。鏡は斜縁盤龍鏡に分類されるもので、文様面に「景初四年」(西暦240年)の銘帯があることから邪馬台国論争に新たな火種をつけ、広峯15号墳の名称を一躍全国に知らしめました。
広峯15号墳は、由良川流域では初現の前方後円墳であり、この地域の盟主の墓であると考えられます。また、外表施設を欠き、埋葬施設も比較的簡素なものではありますが、由良川中流域をおさえるような権力を持つ人物の墓と考えられ、近畿地方北部の古墳時代を考える上で重要な問題を提起しています。
広峯古墳記念公園は、広峯古墳群の発掘を盤龍鏡の発見を記念し、古墳本体については原寸の4分の3、埋葬施設については2.5分の1の規模に縮小してイメージを再現したものです。今後、この古墳公園があ地域の歴史を学ぶ資料となり、活用されることを望みます。

重要文化財 広峯15号墳出土物(一括)
盤龍鏡1面:径16.8㎝
碧玉管玉2点:長0.8㎝・径0.4㎝ 
後略

令和3年3月 福知山市教育委員会

 

あずまやから。

f:id:massneko:20220319090026p:plain

 

前方部先端側から。

f:id:massneko:20220319090104p:plain

 

前方部墳頂から後円部。

f:id:massneko:20220319090115p:plain

 

後円部墳頂の埋葬部の図も、縮小表示。

f:id:massneko:20220319090129p:plain

後円部から前方部を。かつては奥まで丘が連なって、古墳群を形成していたようです。

f:id:massneko:20220319090202p:plain

 

後円部と右奥へ前方部。

f:id:massneko:20220319090214p:plain

サイズが縮小されていると違和感を感じますね。