前回の資料館から東側の堤を上ると、心合寺山(しおんじやま)古墳の雄姿が現われました。
渡り土手から。
前方部と後円部の一部に、葺石がしっかりと復元されています。国指定史跡です。
グーグルアースでも様子が良く判ります。長軸は南北、後円部が北です。
堤の上、南西側から。
古墳時代中期に造られた前方後円墳で、全長160mは中河内では最大だそう。
土手を渡って墳丘へ。後円部斜面の大木は、2本とも「桐」だそうです。
前方部側面に設けられた階段。
葺石は、みっちり、美しく葺かれています。
2段目テラスから。
前方部上から。
大阪の街が見通せます。中央奥にあべのハルカス。
墳頂の縁には見事な埴輪列。
前方部上には方形壇があり、一部葺石が再現されています。
方形壇の下は埋葬施設があって、埋葬後にはまつりが行われたようです。
前方部(墳頂)
前方部は、後円部へつづく通路としての意味をもっていました。
前方部に「方形壇」という東西5.8m、南北8.8mの長方形の壇があったことがわかっています。壇の下には埋葬施設があり、人物を埋葬した後、まつりの場として機能していたようです。
前方部の墳頂には埴輪が立てならべられて、後円部まで続いていました。埴輪列の外側には、蓋形埴輪をのせた大きな円筒埴輪が配置されていました。
ここでは方形壇の斜面に葺かれていた葺石の一部と埴輪列を復元しています。円筒埴輪や朝顔形埴輪のならべ方は、古墳がつくられた当時を再現しています。
八尾市教育委員会
方形壇の右側から。
前方部端から南方向。左手に屏風のように生駒山地。
一段下に降りて振り返った前方部端。
八尾市のサイトでは、ドローンで撮った写真も見られます。
前方部の左裾から。
同じ位置からスマホ広角で。
心合寺山古墳の左(西)側面には造り出しがあります(後円部側から)
その説明板。埴輪をつかっておまつりをする場と考えられてるとのこと。
造り出し
造り出しは、墳丘から張り出した方形状の土壇で、埴輪を使っておまつりを行う場所であったと考えられています。心合寺山古墳では、大きさが東西約6.3m、南北5.6m以上、高さ1.2m以上の造り出しが西側で見つかりました。上面に埴輪は残っていませんでしたが、周辺からは鶏形埴輪や家形埴輪片などが見つかっており、これらの埴輪が造り出しで使われていたようです。
また、造り出しと後円部の間の谷部から「水の祭祀場を表した埴輪」が見つかりました。埴輪は塀を表した囲み部と祭殿と考えられる家部からなっており、床には水を導く樋管を表現しています。これは地域を治めていた王が行っていた水を用いたまつりの場を表現したものと考えられます。
八尾市教育委員会
そしてこの、造り出し(左)と後円部(右)との間の”谷部”に、水を用いたまつりの場が表現されていたとのこと。
振り返って、くびれ部を。左が後円部、右が前方部。
後円部と前方部の接合部を美しく処理するのは大変だったみたいです。
くびれ部
くびれ部とは、前方後円墳の後円部と前方部のつなぎめ付近を指します。ここでは葺石のいちばん下に置く基底石が、後円部側の途中で内側に入り、その下に小振りの遺志が置かれていました。このような特異な葺き方は、中断だけでなく東側上段でもみつかり、西側上段で反転して復元しています。
後円部の円と前方部の方形のつなぎめは、図面上では簡単に描けますが、古墳時代の土木技術では、設計どおりに盛土を行うことが難しかったため、最後に葺石で形を整えた痕跡ではないかと考えられます。
八尾市教育委員会
葺石と埴輪が、青空に美しく映えていました。