前回の上浜田6号墳跡から北北東200mほどに、墳丘が良く残る公園があります。
住宅街を抜ける尾根道です。木々が顔をのぞかせる場所も。
崖下への斜面から伸びる樹木でした。
そのすぐ北に、古墳公園らしき法面が。
丘陵上を造成して平面にするためには標高の高いところから低い所へ土を移すしかないので、丘陵上を開発して住宅地に残る古墳(大体は一番高いところにありますよね)は周囲がぎりぎりまで深く削られていることが多いです。
といっても浜田三塚公園は、2基の保存場所としても憩いの公園としても、しっかり整備されています。
広場の隅に古墳の説明板も。
三塚(みつづか:上浜田古墳群第1~3号墳)
この付近に瓢箪塚(ひさごづか)古墳を始めとする上浜田古墳群があります。上浜田古墳群は、4~6世紀にかけて築造された相模川流域屈指の古墳群です。
このうち1~3号墳が近接していたことから「三塚」と呼ばれ、浜田町区画整理事業のなかで1・2号墳が現状保存されて「浜田三塚公園」となっていますが、1号墳(馬捨塚)・2号墳ともに未調査のため墳形や年代は不明です。
3号墳は、昭和48年(1973)の発掘調査の時にはすでに墳丘が失われていましたが、直径約35~36mの周溝が確認されました。
この周溝から径30m前後の円墳と推定されていますが、出土遺物は無く、築造年代は不明です。
平成14年(2002)の発掘調査で2号墳の西側にあった4号墳は、中世の塚であったことが確認されています。上浜田遺跡
浜田三塚公園の南側には上浜田遺跡があり、浜田町区画整理事業に先立って発掘調査が行われました。
この発掘調査で縄文時代早期の土壙墓3基と滑石製玦状耳飾が埋葬した時の状態で出土し、使用方法がわかる事例として貴重であることからこの耳飾6点が神奈川県指定文化財となっています。
また、奈良~平安時代の竪穴住居跡116軒、掘立柱建物群16棟も見つかり、相模国分寺で使われていた瓦や「進入」と書かれた墨書土器なども出土しています。
谷戸の部分からは鎌倉~室町時代の武家屋敷跡と推定される建物群が確認され、中国や朝鮮からの舶来品の陶磁器、国産品の陶磁器などが出土しています。この建物群は、中世武士に関わる貴重な遺構として神奈川県指定史跡(浜田歴史公園)として保存されています。
平成24年2月 海老名市教育委員会
周辺地図もあります。
上浜田古墳群が尾根上に点々と築かれていることがわかりました。
広場の南側には上浜田2号墳。
遊んでいる子供たちを邪魔しないように墳丘へ向かいます。
年末の穏やかな日差し。
墳頂には土嚢とシートが。調査があったのでしょうか。
墳頂から西には大山が望めます。
南側は住宅街です。
上がって来た広場のほうを。
広場から今度は1号墳(馬捨塚)を。
1号墳は、2号墳とくらべるとちょっとのっぺり。
墳頂から北側を。
その先端から。中央奥の木立が瓢箪塚古墳でしたがそれは次回で。
西側、海老名のビル群が近くに見えます。
大山からの丹沢山系が屏風のように。
振り返った東側。この場所の尾根上感がわかりますでしょうか。
振り返った広場側。