寒川神社参拝後、宮山駅から相模線を北へ4駅目の海老名駅へ。
線路は単線でしたが、海老名駅ホームでは茅ヶ崎行と橋本行が顔合わせ。
大きな海老名駅にはタクシー乗り場もあって思わず利用。上浜田古墳群の南端そばに「浜田歴史公園」があるので運転手さんに告げるとよくご存じでした。
バス停名にもなっていて、道路脇には説明板も(ピンぼけです)
道路から一段下がったところに平面が。
一見テニスコート跡かと思いきや、中世の建物跡でした。
解説もあります。
県指定史跡 上浜田中世建築遺構群
この建築遺跡群は、南北に伸びた丘陵東側斜面の谷戸地形を利用して、二段の造成面に掘立柱建物跡8棟・竪穴状遺構1基・溝状遺構6本・井戸1基・柵列5本・土壙等が造られていました。これらの建物跡は、3回の建替えが行われており、時代的には、中国や朝鮮からの輸入品や国産の陶磁器類等の出土品によって、鎌倉時代から室町時代(13世紀中葉~15世紀中葉)にかけて営まれていたことがわかりました。
特に掘立柱の建物跡は、主屋・附属屋・厩屋等から構成された複数の建物配置をなしており、これらは当時の武士階級の住居であることを示し、中世建築史を遺構から知るうえでも貴重な遺跡です。
また、この地域が中世の渋谷荘に属し、渋谷一族の大谷氏との関連性もうかがわせます。
なお、丘陵には、縄文時代の遺構や古墳、奈良から平安にかけての集落跡がありました。
昭和56年2月10日神奈川県教育委員会指定
海老名市教育委員会
バス通りを渡って西側の住宅地を上り、最初の説明板の地図にも記されていた上浜田古墳5号墳(太鼓塚古墳)を目指しました。
すぐに尾根があり、越えると先に丹沢の山々と海老名のビル群の眺めが開けます。
上記の先で左折し、さらに左折。左手に新たに造成された住宅地を見ながら進みましたが…
グーグルマップでは突き当りに上浜田5号墳のピンが立っていましたが目の前は住宅ばかり。
そのうちの一軒でちょうど車を出そうとされていた方に古墳を訪ねているのですがとスマホのマップを見せながら話を伺うと、家を建てたばかりですが建てる前には小山があったと聞いています、すみません、と返答いただきました。不躾な問いに丁寧にお答えいただき感謝です。
そのあたりを背にして西側を。相模川の向こうの大山・丹沢山地です。