墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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糸井大塚古墳 広島県三次市糸井町

前回の三玉大塚古墳からは、山あいの道を西北西に抜けて9㎞先の糸井大塚古墳へ。

三次の町で江の川に合流する馬洗川のさらに支流の、美波羅川左岸に立地しています。

 

開けた盆地に、目立つ墳丘がありました。

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墳丘の東側から時計回りに周囲を巡っていくと、南側に説明板。

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広島県史跡 糸井大塚古墳(糸井塚の本第1号古墳)
所在地:三次市糸井町771-1外10筆
指定年月日:平成6年(1994)10月31日
【遺跡の概要】
本古墳がある糸井町は、三次市の南東部に位置し、町の東側に北竜する美波羅川がつくりあげた沖積地と河岸段丘及び小丘陵からなり、この小丘陵上に多数の古墳群があり、県内有数の古墳密集地となっています。
この中に、帆立貝の形に似た古墳の規模では、周囲の溝を含め本古墳が県内最大級で古墳群の中核となっています。
古墳は、全長65m、円丘部径56m、高さ8~10m、方形部幅19~20m、同部の高さ(推定)3mの帆立貝式古墳で、幅30mの溝が廻っており、周溝を含めた規模は100m以上になります。
墳丘の状況は、斜面に河原石が散在していることから葺石と考えられ、埴輪片も出土しています。埴輪は円筒埴輪と方形部付近で家形埴輪が採取されていますが、須恵質を含まない等から、この古墳の造られた時期は5世紀前半と考えられています。
周溝は、現在の水田の畦畔によく残っており、墳丘を中心にして円形状になっています。幅は約30mありますが、第2号古墳との間は狭くなり変形しています。
被葬者が埋葬された施設は発掘調査が未実施のため、明らかではありません。
平成22年3月1日 三次市教育委員会

 

円丘部に相対的に小型の造り出し部が付いていて、これは帆立貝形の前方後円墳というより、大きな円墳という感じです。

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西側に回り込むとアプローチ道が見えてきました。

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ビニールロープが張られています。見学者も多いのでしょうか。

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斜面に向かうと葺石が。

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墳頂から東南東側をスマホ広角で。

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眼下には造り出し部。植木があります。

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そこから右へ向いて。説明板が見えています。

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さらに右を向いて。田の形が周溝跡を表しています。

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スマホ広角で。南側、美波羅川の上流方向です。

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さらに右を向いて西側を。北からの緩斜面に築かれていることがわかります。

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北側は標高が高くなっています。

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周堤の道へ戻って墳丘を。左右(南北)で裾の高さが違います。

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北西側から見ると、斜面の崩壊箇所が目立ちました。

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下記のサイトによれば、付近には約40基以上の糸井古墳群が分布しているとのことでした。

ひろしま文化大百科 - 糸井大塚古墳