墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

二塚古墳 広島県福山市駅家町大字法成寺

二塚古墳は前回の二子塚古墳の1.3㎞東、住宅と水田が混在するエリア、いわくのありそうな「駅家町」の中心部に近い立地です。

ピンが立つのはそばの道路上。迷って諦めかけた時、庭先におられた隣家の方にお聞きできて、古墳のある家がわかりました。

 

門から入って母屋のピンポン押して了解いただき、裏へ回るとこの情景。

f:id:massneko:20211230222349p:plain

天井石が民家の一階屋根より高く、遠近感に違和感が。

 

室内高3.1mです。こんな巨石は、切り出すのも運ぶのも相当大変だったはず。

f:id:massneko:20211230222416p:plain

 

備陽史探訪の会さんのサイトによれば、奥部のみが露出して残存する玄室は、長さ約4m、幅2.42m、高さ3.1m。築造時期は6世紀末~7世紀初頭。

昭和21年(1946)に石室床面の発掘調査が行われ、銅鏡、耳環、玉類、鈴釧、馬具類(金銅張りの杏葉、雲珠、鞍金具など)、鉄鏃、須恵器の高杯などが出土しており、出土品が豪華さや石室規模の大きさから、この地域の権力者の頂点に立つ首長の墓と考えられるとのこと。  

立地は北から延びる丘陵が南東につき出して平地にさしかかる先端部分。以前は南北に2基の古墳が並んでいたため、二塚の名がついたそうです。

二塚古墳(福山市駅家町大字法成寺)

 

正面から。

f:id:massneko:20211230222449p:plain

 

奥壁上部に赤色顔料が良く残っています。

f:id:massneko:20211230222505p:plain

 

玄室側から右手の側壁。

ピンポイントで支えていますが、そのほうが強固になるのでしょうか。

f:id:massneko:20211230222523p:plain

 

左側壁。

f:id:massneko:20211230222535p:plain


奥壁を背にして。

f:id:massneko:20211230222552p:plain