二塚古墳は前回の二子塚古墳の1.3㎞東、住宅と水田が混在するエリア、いわくのありそうな「駅家町」の中心部に近い立地です。
ピンが立つのはそばの道路上。迷って諦めかけた時、庭先におられた隣家の方にお聞きできて、古墳のある家がわかりました。
門から入って母屋のピンポン押して了解いただき、裏へ回るとこの情景。
天井石が民家の一階屋根より高く、遠近感に違和感が。
室内高3.1mです。こんな巨石は、切り出すのも運ぶのも相当大変だったはず。
備陽史探訪の会さんのサイトによれば、奥部のみが露出して残存する玄室は、長さ約4m、幅2.42m、高さ3.1m。築造時期は6世紀末~7世紀初頭。
昭和21年(1946)に石室床面の発掘調査が行われ、銅鏡、耳環、玉類、鈴釧、馬具類(金銅張りの杏葉、雲珠、鞍金具など)、鉄鏃、須恵器の高杯などが出土しており、出土品が豪華さや石室規模の大きさから、この地域の権力者の頂点に立つ首長の墓と考えられるとのこと。
立地は北から延びる丘陵が南東につき出して平地にさしかかる先端部分。以前は南北に2基の古墳が並んでいたため、二塚の名がついたそうです。
正面から。
奥壁上部に赤色顔料が良く残っています。
玄室側から右手の側壁。
ピンポイントで支えていますが、そのほうが強固になるのでしょうか。
左側壁。
奥壁を背にして。