梅木平古墳を拝見した後は車で1時間ほど北東に進んで、福山市の古墳へ。
始めに当エリアの北端の尾市古墳へ。
緩やかな斜面の谷戸の集落の中を上がっていった分かれ道。
そこに説明板が。
尾市1号古墳(7世紀後半)
従来より芦田川中流域平野縁辺部には「終末期古墳」と呼ばれる古墳がいくつか分布していることが全国的に注目されていました。中でもこの古墳は、石室の平面が十字形を呈するという全国に類例が無い非常に特異な存在として知られていました。
発掘調査(1984)の結果、墳丘は明瞭ではないものの八角形に近い形状であることも分かりました。石室(厳密に言えば「石槨」)は花崗岩を切って組み合わせ、研磨した表面全面に漆喰が塗布されていたらしく、このように丁寧に築かれた墓に眠る被葬者は、畿内政権と結びついた特定の個人と考えられます。
平成元年10月 新市商工会青年部
もう少し先まで、軽で入って振り返った棚田。この背後の廃屋前に停めさせていただきました。
その先のこの分岐を左へ。中央が案内板。
こんな道ですが(右を登ります)
ここでもう一度折り返すように登ります(案内板あり)
落ち葉が深く積もっているので踏み外さないように登ります。
頂上間近。
土嚢で保護された墳丘が現われました。下の分岐から5分程ですが、長く感じられました。
前に見た、ボルタンスキーの展示を思い出しました。
「クリスチャン・ボルタンスキー Lifetime」展 @国立新美術館・乃木坂 - 墳丘からの眺め
南側に回ると開口部。
高さが1m程度なので、手をついて入室。
なんとびっくり十字型。スマホ広角で。
開口部正面奥の部屋。
その部屋から振り返って。
同じ位置からスマホで。
そこから右の部屋を。
部屋に入って、反対側の部屋を。
床面の様子。
上記の向かいの部屋に入って振り返って。
非常に貴重なものを見ているという実感がありました。
開口部からの素敵な眺め。さきほどの棚田が見えているはず。
墳丘の後ろ側にも高まりが。そして気になる板石も。
そこに上がって尾市古墳を。
その後に訪ねた「しんいち歴史民俗博物館」には、わかりやすい模型がありました。
見事な十字形。今よく見ると、周囲の石室石材も再現されていたのですね。
展開図もありました。
尾市古墳(古墳時代後期)
神谷川の支流である芦浦(あすら)川の、最奥部に近い丘陵上に位置する。
墳形は明瞭ではないが、墳丘裾の列石の状態は前方が多角形・後方が円形となり、径約10.5m、高さ約2.5mである。内部主体は花崗岩の切石を「組合わせた横口式石槨で、羨道を含めて十字形の形をしていることから十字塚とも呼ばれる。石と石の継ぎ目や窪みの部分に、漆喰が残存している。7世紀末の終末期古墳である。
(新市町常)
新市町観光協会のサイトも詳しい情報があります。
羨道を含めた南北の長さが6.68m、東西の石槨を合わせた長さがが4.6mで、石槨は長さ1.68m・奥壁1.16m・高さ1.15mで三室とも、ほぼ同じ大きさとのこと。