石清尾山古墳群の最後は、ぐるっと歩いてきた尾根筋の北端に隣合う3基。
今、公園のサイトの地図を見ていて、自分が9番から1番まで、ちょうど逆順で見てきたことに気づきました。
https://www.mineyama-park.com/kohun.html
前回の鏡塚古墳から150mほど北西で、まず出会うのは方墳の北大塚東古墳。
墳頂を通過して振り返ったところ。
さらに進んで振り返って。
3基の説明板がありました。
北大塚古墳
北大塚西古墳
北大塚東古墳
史跡 昭和60年7月16日指定
これらの古墳は、摺鉢谷を取り巻く稜線の北端に位置しており、接近してつくられた前方後円墳2基、方墳1基の3基(いずれも積石塚)からなる。
中央部の前方後円墳は、全長約40mの規模をもち、一部が崩壊しているものの形状をよく残している。東側に存在する古墳は、石清尾山古墳群中ただ1基、確認されている方墳である。
高松市教育委員会
その説明板の先に北大塚古墳。
全長約40mの前方後円墳を前方部左裾側から。奥が後円部。
前方部先端側の裾から。
前方部上から後円部方向を。くびれ部がよくわかります。
後円部へ上がって、前方部方向を振り返って。
高松市のサイトには北大塚古墳・北大塚東古墳の測量図も。
北大塚古墳の後円部からは北西側の高松市中心部が望めました。
みなさん、眺めの素晴らしい立地を選んでいます。
北大塚古墳後円部から見た、いちばん端っこの北大塚西古墳。
奥が後円部で、その手前に前方部がついています。
北大塚西古墳の前方部に上がって、後円部を。
後円部の墳頂です。石清尾山9号墳から数えて10基目の積石塚です。
その先は切れ落ちていました。擂鉢谷です。
北大塚西古墳の上から振り返って。正面奥が北大塚古墳の後円部。
全長は19m。実測図は「尺」で書かれていたのですね。
北大塚西古墳から車を停めた第3駐車場までは直線距離で西に400mぐらい。
来た道の円周上の尾根を戻ると2㎞程になるので、ショートカットしようと擂鉢谷への道を降り始めましたがこれが登山道並みの急勾配(地理院地図で見ると谷底までは70mほどの高低差)
途中で林道にトラバースして、小塚古墳のほうへ上り返しました。
(今、地図を見ていたら、”ちびっこ広場”に沿った近道があるのに気づきました…)
やっと尾根上に道路に戻ったとき、前から観光バスが現われて20人ぐらいの人々が降りてきました。
表示板を見ると、なんとクラブツーリズムの讃岐古墳旅2泊3日のツアーではないですか!
ガイドの方が「古墳を見たんですか」と声を掛けられてちょっと会話が始まって東京からのツアーと知り、「墳丘からの眺め」の話をしたところ、「オヤコフンさんですか!」となんとブログを知っているとのこと。お客さんにも知っているという方がいて驚いてしまいました。
ガイドは下記の稲用章さん。
稲用さんも、「まさか讃岐で、しかも積石塚で!」と。
観光バスを後ろから。10月30日の朝8時半過ぎでした。
1分でもずれいていたら、こんな機会にならなかった”奇遇”でした。