墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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盛土山古墳 香川県仲多度郡多度津町奥白方

有岡古墳群の見学後は北西の多度津町にある盛土山古墳へ。

 

天霧山(あまぎりやま:382m)の北側の平地に立地。

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二重の周溝を持つ円墳です。

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香川県指定史跡
盛土山古墳
丸亀平野西端部の天霧山山麓にある仲多度郡多度津町奥白方に造られた古墳時代中期、5世紀末頃の古墳(円墳)である。
墳丘規模は現況で墳丘直径約40m、2重周溝を含む最大範径は約75mあり、香川県内で平野部に造られた最大級の円墳である。墳丘構造は二段築成。埋葬施設は箱式石棺ではないかと考えられる。円筒埴輪・形象埴輪(キヌガサ形、器材形)・鉄製品(鉄刀。鉄鏃)・須恵器・銅鏡・管玉・勾玉・トンボ玉などを出土している。中でも大正4年に出土した勾玉は長さ6.7㎝の日本最大級のものとされている。またトンボ玉はいわゆるモザイク玉と呼ばれるタイプで、ペルシャなどからの輸入品であると考えられる。同様のものは仲多度郡まんのう町にある安造田東3号墳からも出土しており、これらはこの地域の有力者が独自に海外との交流を持っていたこと、あるいは海外との交流を持っていた畿内勢力との強力な関係性がうかがえる資料である。
盛土山古墳は白方地区を流れる弘田川沿いにある。この地区には多くの古墳が点在しているが、中でも前期古墳である御盥山古墳は瀬戸内海を行き来する人々に目に留まるように造られていたと考えられるが、盛土山古墳は、弘田川近くに造られており、川を利用する人々、たとえば北部九州や畿内等と交易をおこなっていた上流部の善通寺付近の勢力などを意識しているのではないかと考えられる。それを証する理由の一つとして、現在河口は1㎞程度北に所在するが、かつては盛土山古墳付近に所在したと考えられ、河口の所在したであろう港等の存在に深く関与した勢力があったと考えられるからである。そのため盛土山古墳はそこを管理する勢力及び被葬者の威容を示すために築造された古墳ではないかと考えられる。
昭和51年6月29日指定

 

墳丘へ上がらせていただきます。

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北西方向は、現在の海岸線まで1.3㎞。奥の形の良い山は高見島(標高297m)だと思います。

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東北東方向には讃岐富士・飯野山。

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南西には天霧山。

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墳丘の周囲は、たまねぎ畑のようですが…

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この並べ方は?

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