前回の坂戸市歴史民俗資料館の400m東に、勝呂(すぐろ)神社古墳があります。
遠目にも目立つ勝呂神社社殿は墳丘の上。
参道南側から。
鳥居の左にあった解説板。
勝呂(すぐろ)神社古墳
勝呂神社の社は、大きな円墳の上に建っています。石段を登り拝殿前から見渡すと、景色の良さに驚きます。加賀国の一宮である白山比咩(しらやまひめ)神社が祀られていることから、「白山さま」とも呼ばれ地域の信仰を集めています。
円墳は高さ4.2mもあり、拝殿の脇には石室の一部とみられる大きな川原石が露出しています。
神社が鎮座する石井の地は、縄文時代から人が住んだ痕跡が認められ、古墳時代から中世には入間郡の中心として発展しました。豊かな自然と肥沃な大地に恵まれ、早くから人々の生活が営まれてきました。
神社の記録によれば、第十代崇神天皇の時代に伝説上の人物と言われる四道将軍の一人、建渟河別命が勝呂神社に葬られていると伝わっています。直径およそ50m、高さ4.2mの円墳に、東海鎮護の神としてお祀りし千年以上も前から神地として崇拝されてきました。
寛和2年(986)、古墳の上に神として知られる加賀一宮白山比咩神社の御分霊が勧請されました。その後、武蔵七党の村山党に属した須黒太郎恒高が勝呂に本拠を構え、建保元年(1213)には社殿を再営して勝呂白山権現としました。
明治時代に社号を白山神社と改め、明治42年(1909)に現在の勝呂神社になりましたが、今も「白山さま」として信仰を集めています。
発掘調査の成果では、神社の東を東山道武蔵路が通っていたことが確認され、7世紀後半に建立された埼玉県最古の寺院の一つ勝呂廃寺との関連も注目されています。
平成26年3月 坂戸市教育委員会
円墳とのことですが、その手前でも段差を上がります。
高さのある墳丘です。径50m、高さ4.2m。
拝殿から振り返った南側。気持ちの良い眺め。
参拝して左から後ろの本殿側へ。
ここは社殿の左側で、右側に石室石材や石室露出箇所と見られる場所があるのですが、なぜか見そびれて…
現地の図にも位置が示されていたというのに…
神社の境内にある緑泥片岩3枚のうち2枚は、この古墳から出土したものと伝えられるそうです。
赤い柵のある墳丘縁。
覗き込むと周溝もわかります。
周溝に降りて。
そこから見上げた社殿。
勝呂神社の南にて、谷治川にかかる橋。
橋から振り返った勝呂神社(中央)