墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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日本橋堀留町界隈 東京都中央区

前回の場所から1ブロック南側の、一辺30mほどのエリアです。

 

最初は四つ角にある、ラ・コシーナ・デ・ガストンというスペイン料理店。

建物が魅力的です。

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魅力的な建物の料理店は料理も大変おいしい、のではないかと思っています。

来月になったら訪ねてみたいです。(グーグルマップにはイタリア料理店とありますが、旗を見てもそうではないですよね)

 

上記の左側の通りも、いい雰囲気です。

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焼き肉屋さんのお隣の看板建築。

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そのブロックの西側には出桁建築がかろうじて残っていました。

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赤はペンキで塗られているようですが、錆の色のようでもあり。

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上記の右の小径を進むと、気になる店がありました。

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東側は焼鳥屋さん。軒が洋風です。

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建物角に説明板が。

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幟旗にも岩代稲荷神社とありました。

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出世稲荷の由来
江戸時代は当稲荷敷地は新材木町16,17,18番地稲荷です。其の昔徳川家康入城天正8年(1590)頃の此の付近は芝原宿という村落でした。杉の森林の多い所です。江戸城拡張以来、江戸町割当地慶長9年(1604)頃材木置き場が多い所から新材木町と町名が出来た由尚元和3年(1617)親爺と呼ばれた北条家浪人庄甚右衛他数名の仮屋敷内に有り京都伏見稲荷より祭神を戴き守護神として祭りし後、当地世話人一同が現在迄守護致して居ります。
当社は明暦3年(1657)江戸大火振袖火事、安政(1854)大地震、明治6年(1873)大火、関東大震災大正12年(1923)近くは昭和の太平洋戦争まで本尊災禍を免れました。
関東大震災の時、社殿焼失致し現在堀留町1丁目10番地椙森神社の拝殿取毀し材料(杉の木)削り直し昭和6年に落成し現在まで数多くのお信仰者があります。
江戸時代初代市川団十郎が日参し名をあげた由尚当地より出世致した商店、芸能関係各個人等数多く出て祈ります。
初午毎年3月岩代稲荷と合同で掘留町一丁目町会応援にて執行致します。
応長見聞集寛永図経、先祖の言い伝えとの事。
昭和56年5月吉日 出世稲荷世話人一同

 

社殿の位置はわかりませんでしたが、地元に愛されている神社のようでした。

(出桁建物の角にも、幟旗が立っていますしたね)