墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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椙森神社 東京都中央区日本橋堀留町

前回の旧川崎貯蓄銀行から西に200mほどに椙森神社がある。

 

ビル街を歩いていたら、鮮やかなライトグリーンの屋根が目に飛び込んできました。

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西側の道路から。右が拝殿の、左が本殿の屋根。

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まずは拝殿にて参拝。壁や柱の白さも目立ちます。

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中央区の解説板があり、読むと現在の社殿は昭和6年の築でした。

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椙森(すぎのもり)神社
椙森神社の創建は、社伝によれば平安時代に平将門の乱を鎮定するために、藤原秀郷が先勝祈願をした時といわれています。
室町中期には江戸城の太田道灌が雨乞い祈願のために山城国(京都府)伏見稲荷の伍社の神を勧請して厚く信仰した神社でした。そのために江戸時代には、江戸城下の三森(烏森・柳森・椙森)の一つに数えられ、椙森稲荷と呼ばれて、江戸庶民の信仰を集めました。
しばしば江戸城下等の火災で寺社が焼失し、その再建費用のために、有力寺社で当たりくじである富興行が行われ、当社の富も人々に親しまれていました。
明治維新以後も、東京市中の古社として盛んに信仰されましたが、惜しくも関東大震災で全焼し、現在の社殿は昭和6年に耐震構造の鉄筋造りで再建されました。
境内には富塚の碑が鳥居の脇に立ち、当社で行われた富興行をしのんで大正8年に建てられたもの(昭和28年再建)で、富札も残されており、社殿と共に中央区民文化財に登録されています。
平成8年3月 中央区教育委員会

 

富塚は「宝くじの元祖」として人々を集めているのだそう。

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中央区のサイトにも解説がありました。

中央区民文化財42 椙森神社の富札・富塚の碑(すぎのもりじんじゃのとみふだ・とみづかのひ) 中央区ホームページ

椙森神社は、平将門の乱に藤原秀郷が戦勝を祈願したとも言われ、また江戸城の太田道灌が雨乞い祈願のため、山城国伏見稲荷の伍社の神を勧請して信仰したとも伝えられている神社です。
江戸時代には江戸三森の一つに数えられ、庶民の信仰を集めました。
人々が参集することから、富興行が開催され、神社に残る富札は、天保7年(1836)幸手不動院(埼玉県)の修造費用のため、椙森神社で興行したときのもので、組印は「珠」、番号は七千弐百三拾八とあります。また、富興行をしのんで境内に富塚の碑が建立されています。

 

その富塚の碑。

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境内東側の道路から。社務所の東壁は色が違っていました。

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複雑な屋根の形。一番高い部分は洋風が入っている?

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