墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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田中・舟森山古墳 福島県喜多方市塩川町金橋

今回も墳名に中黒のある「田中・舟森山古墳」は旧道の四辻の一角にある。

墳丘は周りを住宅地で削られ、隅の丸い長方形の形で残っている。

 

バス停の後ろ(西側)が墳丘で、手前に大きな記念碑が並び立つ。

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上記の右の角にあった集落案内板。古墳の位置は「稲荷神社 舟森山古墳」

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看板から東側に墳丘(神社)への石段があった。

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左の石碑は「厩山」と読めるが、雄国沼を囲む外輪山の一つ厩岳山(1261m)の別名のようだ。

 

石段を上がって振り返った方向は、ほぼ南。

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のっぺりとした広い墳頂に社殿。

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参拝して振り返って。

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墳丘の北東側。

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北西端から南側。

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平たく残っているのは墳頂部が削られているからと考えられるがそれでも高さが7mあって、長辺が70mもある。 

 

下記の辻秀人氏の本によれば、付近の地形から元は前方部がある前方後方墳(又は前方後円墳で、前方後方墳であるなら東北地方最大規模)であった可能性が高く、墳頂の試掘調査で朱の混じる粘土槨が検出されたことからも被葬者の格の高さがうかがわれ、観音森古墳や深沢古墳などを含む雄国山麓古墳群の盟主墳と示唆されている。

 

ちなみに辻氏は最初にここを訪ねた際、頂上の様子から古墳ではないと思って引き返そうとしたが、お宮の周りに散らばる土師器の破片に気づいて古墳時代前期の古墳と認識したのだそうです。

 

当古墳を含む雄国山麓古墳群を”発見”したことにより会津盆地には、南東縁に会津大塚山を含む「一箕古墳群」、西縁に亀ヶ森・鎮守森・杵ガ森を含む「宇内青津古墳群」、東縁に「雄国山麓古墳群」と3つの有力な勢力が併存していて、それぞれが古墳時代前期に個性的な古墳群を継続して築造した、東日本でも有数の古墳密集地域であることがわかったそうです。

(1964年の会津大塚山古墳調査以前は、東北地方に古い時代の古墳はないと考えられていたにもかかわらず!)

 

わくわくしながら読み進められた本でした。古墳ファン以外にもおすすめだと思います。