月島地区から大通りを隔てて北西に隣り合う一帯は江戸時代以前から河口の中州として陸地だった佃島。
特に東寄り佃1丁目エリアの住吉神社や佃公園周辺には、昭和前期からの町家・長屋建物や路地が戦災を免れてよく残り、江戸の漁師町の面影も感じられます。
4年前に、このあたりを歩いてエントリしました(画像はChrome OSでないと見られません)
佃島界隈:佃天台地蔵尊・佃小橋・住吉神社・佃島渡船跡 東京都中央区佃 - 墳丘からの眺め
以下に続く3枚の写真は上記から再掲。
昭和初期に建てられた天安本店(2017年8月撮影)
天保8年(1837)の創業で、以来ここで佃煮の製造販売を続けてきた”老舗”の佃煮屋さん。
典型的な町家の構えだが、間口が狭いのは佃の歴史的な地割りの形態をよく示しているのだそう。
こちらは「正政商事」で、大正10年の築。(2017年8月撮影)
船大工棟梁と大工棟梁13名が贅を凝らして造った、佃の漁師の専用住宅町家の構えを良く残すそう。通し柱に備前のヒノキ材、戸袋には柾目一枚板、サルスベリの建具桟など、随所に厳選した材が用いられ、銅製の雨樋には銛と波をデザインされているとのこと。
小沢家住宅は、なんと大正初期の築。(2017年8月撮影)
濱長商店の創業者が暮らし、その後も大切に住み続けられてきた数寄屋造りの住宅建築。室内は座敷欄間や漆塗りの窓枠、風呂場の船底天井など凝った意匠が用いられているそうだ。
ここからは、最近訪ねた佃2丁目。
長屋建築の町並みが残る一画があった。
王冠をかぶるようなファサードは、昭和3年築の中島商会。
中央区のサイトに解説もある。
石川島播磨重工業があった時代の佃の賑わいを伝える元小料理屋で、その後に油脂及び雑貨屋となり、手を入れながら大切に使い続けられているとのこと。
外観は典型的な看板建築で、軒周り、パラペット部分や上端の装飾、戸袋などに凝った意匠が見られ、室内でも商品陳列棚、鉄扉と漆喰壁による灯油倉庫、入母屋の3階座敷など見どころが多いようだ。
一軒おいた先の精米店も、出桁木造かつ銅板張りの看板建築。
その先の焼き鳥屋さんも。