墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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柏崎古墳群・おくま山古墳(柏崎1号墳) 埼玉県東松山市古凍

今回と次回は、前回までの古凍古墳群の北西側に接する柏崎古墳群を。 

 

おくま山古墳は群中で、ひときわ大きな前方後円墳(帆立貝形)で全長は62m。

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説明板完備。

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東松山市指定文化財
おくま山古墳
昭和46年6月4日指定
この古墳は、都幾川と市ノ川に挟まれた東松山台地の南東部で、台地が川島方面へ舌状に張り出した中央に立地しています。周辺には円墳など13基の古墳が残っており、柏崎古墳群と呼ばれています。この古墳群を代表する古墳のひとつです。
古墳は、丸く高い後円部(円丘)と低く裾を拡げる前方部(方丘)からなる前方後円墳と呼ばれるものです。墳丘の規模は全長62m、高さ7m、この周りに幅が広い濠(約10m、深さ1.7m)が巡らされ、現在でもその西側には、濠跡が窪んで見えています。
昭和61年と平成7年の2回、濠の部分の発掘調査が行われ、人物埴輪(盾持ち人4体)や円筒埴輪が出土しました。盾を構えて立つ武人の埴輪は、この古墳に葬られた主人を守っていたと考えられます。
平成7年の調査では、群馬県榛名山二岳(ふたつだけ)の噴火による火山灰が、古墳を巡る濠跡に薄く積もっていたことが確認されました。この火山灰は6世紀の初め頃、関東の南東地域に広く積もったことがわかっています。
この火山灰や出土した埴輪などから、この古墳が造られたのは、6世紀の初め頃までと推定されています。
平成15年3月 東松山市教育委員会
出土遺物は、東松山市埋蔵文化財センターで収蔵しています。 

 

「埼玉の古墳めぐり」の、古凍・柏崎古墳群の項によれば、おくま山古墳の名は墳頂に鎮座する熊野神社に由来するとのこと。

埼玉の古墳めぐり 謎とロマンの70基|さきたま出版会

「昔は濠で馬を洗っていた」との紹介も。

また、柏崎古墳群とエリアが重なる番清水遺跡(約10ha)は弥生時代から平安時代までの複合遺跡で竪穴住居跡73軒が発掘され、古墳時代前期の一辺22m方形周溝墓や、古墳時代後期の住居跡から出た壺から滑石製勾玉が338個出土が検出されたことも記されていた。

 

前方部端の鳥居をくぐると、後円部墳頂までまっすぐに参道。

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くびれ部あたりから。

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墳頂には瓦屋根の祠。

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背面は草が密生していた。

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草の隙間からの眺め。

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参道を振り返って。

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南西側から見た墳丘。長軸は北北西を向く。 草の地面部分が周溝のようだった。

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南東側から。別の参拝者がおられた。

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説明板に「東松山市埋蔵文化財センターで見られる」とある”盾持ち人埴輪”は、昨年に、さきたま史跡の博物館企画展で拝見しました。

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笄(こうがい)形の髷を持つのが特徴で、後円部裾の周濠外側の盛土帯に円筒埴輪列とともに配されていたとのことです(図録より)

 

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