前回に続いての塩古墳群、今回は地図にある道路の下(東)側を。
13号墳のあたりは下草が深くて、墳丘はよくわからず。
その隣の14号墳は、しっかり膨らみがあった。
南側から見た14号墳。
そこから90度右へ向くと、15号墳。
そこからさらに90度右を向いた先の林の中にあと5基、マップに記されていた。
手前のわずかな膨らみが16号墳か。
その先(南)の17号墳。
民家への道路、左に17号墳。右に21号墳と19号墳が。
手前の緩やかな膨らみが21号墳。
その奥に19号墳。
17号墳の南側のこのあたりが18号墳か。
古墳群の南側は見晴らしがよく、丘や山の稜線が幾重にも広がっていた。
塩古墳群の北側、県道11号からの分岐に、昭和46年1月に立てられた説明板が残っていた。昭和46年は1971年なので、ほぼ50年前。
地名が江南村だったり、墳形が前方後円墳となっていたり、案内図が今と微妙に違っていたりするのが興味深かった。
埼玉県指定文化財 塩古墳群
この古墳群は、江南村大字塩の洪積台地上の山林中に分布している。前方後円墳2基のほか円墳、方墳等10基に余る古墳が群集している。時期は、古墳時代の後期に属するが、前方後円墳は、帆立貝式で古い形態をもっている。各古墳はきわめて密集しているうえ、保存状態は良好であり古墳研究の資料として貴重である。
昭和46年1月 埼玉県教育委員会 江南村教育委員会
ちなみに、埼玉の古墳めぐりによれば「塩古墳群」は古墳群全体では60基以上から成り、今回訪ねた主要部・狸塚支群でも全体で36基(内前期古墳群は26基)と記されていた。
平成5年(1993)に発掘調査が行われ、1号墳の周濠からは口縁に2個1対の透かし孔があけられた赤彩の二重口縁壺が、7号墳(方墳)墳丘裾部からは外面全体を赤彩した二重口縁壺が見つかっており、これらの出土遺物から、この狸塚支群の前期古墳は3世紀末から4世紀中頃にかけての築造と考えられるそうだ。
ところで「塩」という地名は直接的で面白いと思っていたら、しょっばい塩の意味ではなく、谷津の入り組む地形=「シワ」の意味で、地形に由来する地名と思われるのだそう。