墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

長光寺山古墳 山口県山陽小野田市大字郡字弥ケ迫

今回の山口県墳行で最後に訪ねたのが長光寺山古墳。 宇部空港から車で30分ほど、徒歩なら厚狭駅から23分。

 

大分県の亀塚古墳の資料館で見た主要古墳マップに載っていたので、訪ねたいと思っていた(本州の左端)

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厚狭川右岸の住宅地からちょっと上ると、道路沿いに古墳入口のサイン。 

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午後4時半くらいで、樹林の下はすでに薄暗くなっていた。 

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草むらだと思って歩き出すといきなり沼状。斜面沿いを迂回して振り返ったところ。

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そこからは傾斜のある登り。標高60m、上った比高差は40mほど。

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その先に古墳の標柱が。

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そこからパノラマで。左が後円部、右に前方部が続いている。

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後円部墳頂一歩手前。

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墳頂は思ったより広々していた。そこには開口部があった。

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墳頂にあった説明板。長光寺山古墳は山口県指定史跡だった。

4世紀後半代の古い前方後円墳で全長は58m。

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県指定史跡 長光寺山古墳
山口県指定年月日 平成3年4月5日
この古墳は、古墳時代前期の4世紀後半代に築造された前方後円墳である。明治14年(1881)地区住民が発見し、多数の副葬品を採取した。大正15年(1926)の第一次学術調査により採取された副葬品等から全国的に著名になった。その後、昭和46年(1971)の第二次学術調査で、埴輪を伴う前方後円墳であることや石室の規模・構造等が明らかになった。古墳は標高約60mの丘陵上にあり、全長約58mの県下6番目の規模で、後円部に2基の竪穴式石室がある。副葬品として仿製三角縁神獣鏡・仿製内行花文鏡・鍬形石・巴形石製品等が出土し、県の有形文化財(考古資料)に指定されている。この古墳は、4世紀後半代に長門地方を支配した豪族によって築造された県内における最古級の前方後円墳であり、出土遺物をあわせて考古学上重要な価値をもつ遺跡である。
平成17年3月 山口県教育委員会 山陽小野田市教育委員会

 

2基並ぶ竪穴式石室のひとつ(左側)が開口。

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開口部の高さは1mもない。スマホを置いてみた。 

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高さはなくとも、フラッシュで撮ると立派な印象。 

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上記の背面にも窪みがあった。

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後円部から前方部方向を。 

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前方部先端側。帰りの飛行機の時間も近づいていたので深入りはせず。 

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くびれ部から後円部を。

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上記の位置から左側。結構急に落ち込んでいる。

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最初の標柱を少しあがったところから見たくびれ部。右後ろへ前方部。 

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最後にすべってころばないように慎重に下った。

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