墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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兜山古墳 山口県山口市秋穂二島

熊毛郡の古墳をいくつか見た後、防府の古墳に立ち寄ってから、 山口市の海沿いの古墳を訪ねた。

 

右奥の小山の上に立地する古墳。写真は帰路に撮った。

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狭い道を上っていくと最後は未舗装路となったが「駐車スペース有り」の看板に安堵。

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その脇にあった説明板。

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兜山古墳
この古墳は、5世紀後半に築かれた直径約20m、高さ約3mの円墳で、墳丘は葺石で覆われていたものと考えられます。昭和35年(1960)に発見され、発掘調査が行われました。
内部主体は、側石・小口石・蓋石ともに一枚石を用いた組合式箱式石棺で、石棺の内法は長さ約1.5m・幅約0.3m・棺床には白い円礫が敷かれていました。
石棺の内面には朱が塗られ、若年女性の人骨が一体、二個の枕石で頭部を支えられた状態で埋葬されていました。
副葬品は、棺内から人骨左足側の側石に接して変形獣帯鏡(へんけいじゅうたいきょう)が出土したほか、棺外からは、蓋石の上面から鉄剣が、人骨頭部側の小口石の外側から鉄剣・鉄刀子・鉄斧・鉄手斧・鉄鎌・鉄鍬先がまとまって出土しました。
古墳時代、この古墳が築かれた長浜半島は、周防灘沿岸に点在する島嶼群の一つでした。兜山古墳に埋葬されたのは、この島嶼群に拠点を置き、土器製塩や漁労、交易に従事する海人(あま)を支配下に置いた首長ではなかったかと考えられています。 

 

悪路の急坂を上がると目の前に墳丘が。

手前に2,3台停められるスペースが整備されていた。 

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坂を振り返って。

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墳頂には石棺の天井石が露出していた。

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眺めは非常に素晴らしかった。まずは南東方向から。

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南側。細長い半島がこの先にも2㎞ほど続く。

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 南西方向。右の白いドームは山口きらら博記念公園の「やまぐち富士商ドーム」

中央奥の山が日ノ山で、左裾に月崎岬が伸びる。

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西側。対岸に丸塚古墳群が立地する。 

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北西側。椹野川(ふしのがわ)の河口部。20㎞ほど遡上すると山口市中心部に至る。

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パノラマ撮影は連続失敗したので断念。  

 

ズームすると周防大橋が写った。 

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北東側の木々。ここは標高36mで突き出た部分の頂上になるが、奥には標高101mの山が続いている。

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北東側。 

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平生町の神花山古墳と同様、ここの埋葬者も若い女性が一人とのこと。

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帰路に通った岬の東側の海岸。(最初の写真と同じ位置から東側の秋穂湾を望む。この湾には車エビの養殖場があるようだ) 

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同じ位置から北側。 

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凸凹のある海岸をよく見たら岩盤だった。

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道路際にも岩盤の層が露出していた。

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