防府国衙跡の南西1㎞程、グーグルマップで「古墳」を検索してピンが立った鋳物師大師塚(いもじだいしづか)古墳へ。
山陽本線の南側、線路から200mほどの住宅街。マップに誘導され細道を入っていくと鋳物師会館があった。
会館の裏(北)側へ回ると、墳丘が。
墳丘南側の開口部。
脇にあった解説板。
防府市指定史跡
鋳物師大師塚
昭和44年3月31日指定
防府市鋳物師町1247、1248番
今から1400年前(古墳時代後期)に作られたお墓で「古墳」と呼ばれます。いつしか周囲を削り取られ、今となっては元々どのような形をしていたのかわかりませんが、遺体を納めた石づくりの部屋(石室)は、よく残っています。
石室は「横穴式石室」といって、古墳の中と外をつなぐトンネルのような通路のあるつくりです。この通路から、皆さんも中に入ってみましょう。
石室の中が三つに区切られているのがわかりますか。
主室の壁・天井は、みな大きな石でできていますね。この石は県内でも最大級で、これを運び積み上げるのに必要な労力から考えて、この古墳に葬られた人は、この地方のかなりの有力者であったでしょう。
このような構造の古墳は福岡・大分県に多く、九州と防府との交流を物語っています。
平成6年3月 防府市教育委員会
開口部に高さがあるのは、墳丘が削られたからだろう。
入った先には石仏群が祀られていた。
奥壁上部。
巨大な天井石。
奥壁に向かって右側壁。奥壁も天井も側壁も、平らな面が大きい。
左側壁。
奥壁を背に開口部。
玄室の、まぐさ石。
左は玄室の袖石。右側の羨道側袖石との間がとても短かった。
上記の右の袖石を羨道部側壁。
外へ出て振り返った開口部右側。
ズームすると、上から2段目には空洞が。
開口部に向かって左壁は、よく見ると崩れそう。
石室内側から。 この側壁が崩れると石室天井も落ちてしまうのでは。そおっと移動した。
東側から見た墳丘。
検索していたら下記のサイトに行き当たった。
周防国は早くから鉄を産出し鋳銭司(貨幣鋳造を司る令外官)が置かれ、鋳物師町の由来は鋳物師の集住があったことによるらしい。