墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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安養寺経塚古墳 大分県速見郡日出町大字藤原

回天神社近くのエリア案内図に記されていた安養寺経塚古墳を訪ねた。 

 

南から上がっていって国道10号に出る手前で戻るように左折(右奥の道)、とグーグルマップに案内されたが道幅が狭そうだったのでこの道路脇に車を停めた。

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スマホマップは左側の木々の中を示している。

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見学できないパターンかと諦めかけていたら案内サインが。

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コンクリのしっかりした道を上る。 

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苔むした五輪塔の集団。

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その隣に墳丘があった。日出町指定との標柱が立つ。 

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回り込むと開口部があった。その上には大木が。

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解説板も。

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安養寺・経塚古墳
この古墳は明治時代初期に発見され、形状などから古墳時代後半(6世紀中期から後期)のもので、藤原郷、大神郷地域の有力者のものと推定される。
古墳の主体部は横穴式石室で、石室内に朱色を施している。
墳丘(古墳の大きさ)は、直径30mぐらいだったと考えられるが、現在では周辺が削られ20mである。
発見されて以来、地区の人々が地蔵尊などを安置し、通称「穴観音」または「穴様」と呼ばれている。
日出町史跡 平成6年2月26日指定

 

ひじまち観光情報公式サイトには、明治17年(1884)に「付近の子供が塚の上で遊んでいるときに発見された」との記載があった。

https://hijinavi.com/spots/detail/26

 

入口は金網扉で施錠されていた。

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網の間からフラッシュで撮ると、広そうな玄室が見えた。朱が残っているのも、なんとなくわかるでしょうか。

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奥壁の腰石。手前のクモの巣にピンとがいってしまった。 

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墳丘を横から。 

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開口部の背面側から。枝の別れ具合が見事な大木だった。明治期にこの古墳を見つけた子供たちは、この木で遊んでいたのではないか。

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開口部側の竹藪内に続いていた小径。朝6時半ぐらいで真っ暗だった。

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見学を終えたとき、雨が本降りになってきて、車へ走って戻った。

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