墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

鬼の窟古墳 長崎県壱岐市芦辺町国分本村触磐屋森

3月13日、朝一番の羽田ー福岡便に乗って、博多港からジェットフォイルを利用し、11時半ごろに壱岐島の芦辺港に到着。

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港の路上でレンタカーの手続きをして、まずは鬼の窟(おにのいわや)古墳へ向かった。 

 

7分ほどで到着。ストリートビューと同じ位置から。

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かつては、土産物店もあったようだ。鬼のイラストがよい感じ。

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階段の上に開口部がある。

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真新しい解説板があった。

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国史跡 壱岐古墳群
長崎県壱岐芦辺町勝本町(国分・亀石地区一帯)
壱岐島内には、長崎県全体の6割にあたる280基の古墳があり、そのうち200基以上の古墳は6世紀後半から7世紀前半にかけて築造されています。
中でも、双六古墳、笹塚古墳、兵瀬古墳、鬼の窟古墳、対馬塚古墳、掛木古墳の6基の首長墓が「壱岐古墳群」として国の史跡に指定されています。
6基の首長墓の石室内からは、中国大陸や朝鮮半島の国々から認められていたことを物語る遺物が多数発見されており、海外の国々に精通した有力者が島内に存在していたことを窺い知ることができます。 

 

周辺の絵地図には、開口部が描かれた古墳がいくつも。

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鬼の窟古墳の開口部に正対して。

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開口部の手前に、別の解説板も。

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こちらのほうが詳細だった。

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長崎県指定史跡 鬼の窟古墳
昭和36年(1961)11月24日指定
所在地:長崎県壱岐市芦辺町国分本村触字磐屋森1206の1番地
指定面積:1577㎡
古墳とは、古墳時代(およそ3世紀後半~7世紀頃)に造営された小高い墳丘を持った墓のことである。基本的な形態は円墳・方墳・前方後円墳などがあるが、鬼の窟古墳は、墳丘の直径は45m、高さが13.5mの県内最大級の円墳である。調査によって出土した遺物の製作年代と石室構造および形態的な特徴から、本古墳は6世紀末に築造され、その、7世紀後半まで追葬が行われたと考えられる。
遺骸を埋葬するための石室は、羨道部から中へ入り、前室・中室を経て主な埋葬空間である玄室へ至る3室構造の両袖式横穴式石室であり、石室を巨大な玄武岩で積み重ねて築き上げていることから、「巨石墳」と呼ばれることもある。石室は全長16.5mで、玄室の平面形は一辺約3mの正方形に近く、床面から天井までの高さは3.3mである。中室の規模は長さ3m、幅2.5m、高さ1.9m、前室の規模は長さ3m、幅2.3m、高さ1.9mである。玄室が平面方形で、6世紀後半に築造された対馬塚古墳・双六古墳と比べると天井が低く、前室と中室の天井石の修復に際して発掘調査が実施されたが、石室からの出土遺物は須恵器(蓋坏、ハソウ、壺)や韓国の新羅土器など少数であった。
この古墳の存在については古くから知られていおり、江戸時代文久元年(1861)に編纂された「壱岐名勝図誌」には、鬼の窟古墳について「笹窟 巳午向矢櫃鬼屋ともいう。大路より三十三間計にあり。・・・件の窟、国人ハさらなり、諸国の客人見に来る所にして、石面に楽書き多し。」とあり、当時から各地より見物客がたくさん訪れて落書きが多かったことが記載されている。
壱岐島では現在260基ほどの古墳が確認されているが、それらの古墳のほとんどは6世紀後半以降に築造されたもので、6世紀以降になると古墳の数が激増するという現状が認められる。本古墳もその様な古墳のひとつであり、その規模の大きさから壱岐を治めた当時の有力者が埋葬されているものと考えられる。
平成20年3月 長崎県教育委員会 壱岐市教育委員会 

 

墳丘が大きいので開口部も迫力がある。 

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羨道の先が石で塞がれている。 

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側壁の巨石。

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天井石も巨大。

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近づくと玄室に灯りがともった。

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斜めの部分を跨いで中へ。入ったところが前室。

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フラッシュで。さらに中室と玄室がある。長い!

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”袖”の先に中室。 

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中室の側壁も巨大な一枚岩。 

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玄室に入って奥壁に正対。石仏に参拝。

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石仏が載っている場所は石棺。

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奥壁に向かって右隅。奥壁上部は天井石に向かって内側に傾斜している。 

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玄室は一辺3mの正方形プランだが、石棺が半分を占めている。

 

玄室から振り返った開口部。下は石棺材でしょうか。

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しゃがんだ位置から。

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今回は久々の”親子墳”が叶いました。

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古墳巡りを始めた頃は小3だったのにもう中3、というか高1。 

 

中室の巨石。 

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前室から、明かりが消えたタイミングで。 

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開口部に向かって左側に、墳丘の後ろに回る小径があった。

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右が墳丘。

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墳丘を開口部の背面側から。 

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