墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

西都原古墳群(その7) 第1古墳群後編(22・35・284・57・72・274号墳) 宮崎県西都市大字三宅

西都原の第1古墳群、右端に後円部が写っているのが前回の13号墳で、左がその北側に続く35号墳。目の前の円墳は22号墳。

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 22号墳は35号墳の陪塚という想定で調査もされている。

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22号墳
22号墳は、墳径16m、墳高2.5mの円墳です。
大正2年(1913)4月1~11日の間に、鳥居龍三により、35号墳の陪塚という想定のもと発掘調査され、鉄剣・鉄鏃・須恵器坏・土師器椀(←土へん)が出土しました。

 

 そのあたりから見た35号墳。

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全長70mの前方後円墳で4世紀の築造。

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35号墳
35号墳は、4世紀に築造された柄鏡形の前方後円墳です。
大正2年(1913)4月1日~11日の間に、鳥居龍三により発掘調査されました。
その結果、後円部墳頂において埋葬施設である粘土槨が発見され、直刀・鉄剣・方格規矩鏡・勾玉・管玉・土師器等が出土しました。
墳長:70m、後円部径:38m、後円部高:6.7m

調査に関わった人
鳥居龍三
明治3年(1870)~昭和28年(1953)
東京帝国大学講師(調査当時43歳)
大正2年(1913)の調査へ参加。
中国・朝鮮半島などで人類学、考古学の調査を行う。

 

横からパノラマで。少し歪んでしまった。 

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前方部裾から。 

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前方部端に上がって後円部を。

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後円部から前方部を。前方部が細長く、柄鏡の持ち手のような「柄鏡形」タイプ。 

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墳頂の「古墳第三十五号」の碑は折れて横置きになっていた。

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後円部墳頂からの46号墳。

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35号墳の後円部から先の眺め。目の前に小ぶりの円墳283号墳がある。

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その283号墳に近寄って。

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35号墳の陪塚という想定で発掘調査されていた。

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283号墳
283号墳は、墳径12m、墳高1.5mの円墳です。
大正2年(1913)年4月1~11日の間に、鳥居龍三により、35号墳の陪塚という想定のもと発掘調査され、刀子・鉄鏃多数・ガラス玉や歯が出土しました。
坏等は、4か所に分かれて、2点あるいは数点が重なって出土しました。

 

283号墳から振り返った35号墳。

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さらに北へ進む。右(東)に崖下へ続いていそうな道があったが、先が長いので通過。

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その先で、岬のように突き出たところに一基。 

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 その284号墳は、弥生時代に遡る可能性が高いそうだ。

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284号墳
284号墳は、大正6年(1917)1月7日に濱田耕作・梅原末治によって発掘調査され、多数の土器片が出土し、後に、弥生時代の墳丘墓である可能性が指摘されました。
宮崎県教育委員会は、平成24・25年(2012・2013)に1917年の調査遺跡等を発掘し、その結果、埋葬施設は未発見ながら、地山ブロック混じりの黒色土を盛った墳丘であること、段丘崖際のやや高い地点に造られていること、周溝は存在しないこと等が判明しました。また、墳丘上には壺が置かれており、その周囲より弥生時代終末期の壺・高坏・器台等が数多く出土しました。
これらの状況から、284号墳は、弥生時代終末期の墳墓である可能性が非常に高いと判明しました。

 

284号墳から台地側(西側)には円墳が並ぶ。 

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と思いきや、説明板を書き起こしている今になって、奥は前方後円墳であったことを知った。

57号墳
57号墳は、墳径24m、墳高3.0mの円墳です。これは、西に位置する56号墳の後円部とほぼ同規模となります。
大正2年(1913)4月1~11日の間に鳥居龍三により発掘調査され、鉄剣・矛・鉄鏃等が出土しました。

 

284号墳の北側には、またも80m級の前方後円墳。若干の傾斜地に立地。

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西側、前方部左裾から。こちら側には墳丘に沿って浅く周溝が残る。

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 これが72号墳。

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72号墳
72号墳は、4世紀に築造された前方後円墳です。葺石を持ち、西側には周溝が半周します。
大正元年(1912)12月25日~翌年1月6日、今西龍・黒板勝美・三浦敏・濱田耕作・柴田常恵により発掘調査されました。その結果、後円部かの礫床から直刀、粘土槨から直刀・剣・方格規矩鏡が、そして槨外から土器が出土しました。また、前方部の礫床から剣・鉄鏃が、粘土槨から直刀・鉄鏃が発見されました。
墳長:79m、後円部径:50m、後円部高:7.4m、前方部高:4.6m

 

前方部から後円部を。

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 表面に残る葺石。

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 後円部の墳頂。

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後円部から前方部方向を。

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公式サイトによれば第1古墳群北端の当72号墳が南端の1号墳の次に古く、次に1号墳に近い側の13号墳、次は13と72の間の35号墳と台地の端に築造され、中央部に寄った(しかし群中最大の)46号墳という順で築かれていく。

http://mppf.or.jp/saito/bnurial_mounds/

築造しようと思った時点で、最もよい場所を選んだ結果になっているように実感した。

 

西側から見た72号墳。右が前方部、左が後円部。

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手前にあった2基の円墳のひとつ。 

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それが274号墳で、72号墳の陪塚として発掘調査されたが埋葬施設や遺物は検出されなかったとのこと。

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274号墳
274号墳は、72号墳に近接する墳径12.6m、墳高3mの円墳です。
大正2年(1913)1月4日、72号墳の陪塚という想定のもと、今西龍により発掘調査されました。その結果、埋葬施設や遺物の発見はありませんでした。

 

ここで一旦、車を第1古墳群から第2古墳群の駐車場へと動かしました。

 

第1古墳群の84基中で10基程しか近接できませんでしたが全てを回るのは、300基以上と知った時点で諦めています...