墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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西都原古墳群(その5) 第1古墳群前編(46号墳・1号墳) 宮崎県西都市大字三宅

西都原古墳群の南端、第1古墳群エリアを駐車場から少し入って見渡して。 

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大きな円墳があると思って近づくと、前方後円墳だった。 

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側面をパノラマで。

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説明板によれば46号墳で、全長80m超・後円部高は8m近い、第1古墳群最大の前方後円墳。

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46号墳
46号墳は、第1古墳群の中で最大の前方後円墳です。平成14~19年(2002~2007)の発掘調査の結果、前方部・後円部ともに三段築成であること、墳丘斜面は緻密な葺石で覆われていたこと、基底石が各段に廻り最下段では二重に廻ること、墳丘の所々には壺形土器が据えられていたことが判明しました。また、後円墳頂部のほぼ中央に、埋葬施設の可能性が高い土坑が確認されました。4世紀末~5世紀初頭の築造と考えられます。
全長:83.6m、後円部幅:49.8m、後円部高:7.6~7.8m、前方部幅36.4m、前方部高:5.5m、くびれ部幅:19.0m

 

説明板の横に葺石が集められていた。

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見上げる高さの鞍部から上がらせていただいた。 

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鞍部から後円部。 

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後円部から前方部を。 

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後円部から北側、駐車場方向。中央奥には姫塚(202号墳)が見えている。 

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パノラマで。

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視線を右に移動して。右端に前方部が写る。中央奥に72号墳(前方後円墳:全長79m)が見えている。

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さらに右へ回って。 前方部の右上に35号墳(前方後円墳:全長70m)が、その右に13号墳(前方後円墳:全長79m)が見えている。

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中央奥が13号墳のプリンのような墳頂。 

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このあと右の小径の奥の、西都原古墳群最南端へ向かった。 

 

そこに立地する「1号墳」

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前方部左裾から。 手前が西になる。

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前方部に上がらせていただいて後円部を。全長は50mほどか。

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墳丘立地は台地端ぎりぎりの現状。ここの標高は60mほどで、一ツ瀬川右岸の西都市中心街との比高差は40m程度になる。

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後円部墳頂の石碑に「古墳第一号」  300以上ある中での1番!

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後円部から前方部を。

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北側の様子。西都原古墳群はここから北端まで4.2㎞ある。 

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上記の右に見えてい13号墳へこのあと向かった。

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公式サイトによれば、第1古墳群には84基の古墳がが確認されていて、3世紀末から4世紀にかけて、1号墳→72号墳→13号墳→35号墳→46号墳の順に前方後円墳が築かれたことが発掘調査でわかっているそうだ。

72号墳、13号墳、35号墳は大正時代に発掘調査が行われ、銅鏡や剣、勾玉などが出土している。

http://mppf.or.jp/saito/bnurial_mounds/