前回の行者塚から南へ250mほど、勝堂町集落の南端に「おから山古墳」がある。
東側の裾は小さな公園
説明板も完備。
県指定史跡 おから山古墳(勝堂古墳群)
平成25年3月19日指定 古墳時代後期
おから山古墳は、江戸時代には48基あったとされる勝堂古墳群の現存する6基のうちの1基です。
現在は直径約30m、高さ約7mの円墳状ですが、築造当初は直径40m以上あったと考えられています。
横穴式石室を持つ古墳で、「湖東町史」によると、玄室は天井石3枚、側壁4段、奥壁は一枚石で、奥行き4.4m、幅約2.06m、高さ2.76mで、羨道の長さ約3.9m、幅1.3mと記されています。
勝堂古墳群は、県内屈指の規模を誇る古墳時代後期の古墳群ですが、資料が少なく、おから山古墳は石室や墳丘が良好な状態で残る貴重な存在となっています。
平成24年に、所有者であった勝堂町の廣田増太朗さんから寄贈を受け、勝堂古墳群を知る貴重な遺構として保存活用が図られることになりました。
東近江市教育委員会
東近江市の資料にも、両袖式の横穴式石室を有し、玄室の奥行き約4.4m・幅約2m・高さ1.7m以上。側壁は石4段に積まれ、奥壁に1枚石が立てられる、とある。
玄門部天井は羨道部天井より1段下がる等の特徴から、行者塚古墳の後の7世紀前半頃に築造されたと考えられるそうだ。
https://www.city.higashiomi.shiga.jp/cmsfiles/contents/0000007/7936/okarayamakofun.pdf
しっかり取り付けられたように見える階段を、自己責任で登らせていただいた。
墳頂の様子。
比高差は7mあって、湖東平野を見渡せる良い眺めがあった。
東北東側、上蚊野古墳群のある方向。
パノラマで東側全体を。
南側。
西側。
北側(方位は、おおよそです)
その後は北西に700mほどの、マップに「骨塚古墳」と記された場所へ(中央の茂み)
近づくと濠に囲まれた藪だった。
土盛りの有無も把握できず。
振り返った景色。
さきほどの東近江市の資料によれば、骨塚古墳は径約20mの円墳と推定され、近くの天日神社前には石棺材と思われる凝灰岩の石材が置かれているが、勝堂古墳群中で最も古い首長墓である可能性が高い、とある。
訪ねたときには、南東に隣り合う天日神社に石棺材があることを認識しておらず、スルーしてしまいました…
この時は、骨塚古墳の200mほど北東の、鳥居裏の木立に興味が向かい…
進んでいくと、濠が設けられた中の島が。
墳丘の雰囲気が感じられました。
丁重に祀られた祠に参拝。
そこから振り返って。
隣は資材置き場。