墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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「朝霞から見る古墳の出現~方形周溝墓から古墳へ~」展(中編) @朝霞市博物館

前回のつづき、次の間がメイン展示室だった。

 

弥生時代末期~古墳時代前期にかけての土器(壺や高坏)が部屋を埋め尽くす。

 

1800年前~1700年前につくられたもの達。

 

壁側ケースはも、入口展示室のシリーズの続きがあった。

タイトル上下が青が南関東、赤が埼玉県、茶色が朝霞市周辺という構成になっていた。

 

千葉県市原市の神門(ごうど)3号墳。

東日本最古級(3世紀代)の前方後円形墳墓。

円丘部に短い突出部がつく墳形は定型的な前方後円墳のさきがけとなるもので、主に西日本に分布し、前方後方形がひろがるこの時期の関東では珍しい形。

 


3号墳の埋葬施設(木棺直葬)からは鉄剣、鉄槍、ヤリガンナ、管玉、ガラス玉などが検出された。

 

墳頂部から出土した土器は、東海地方西部・近畿地方との関わりを占めるものが多いそうだ。

 

5号墳のみが残る現地へは6年前に訪ねた。

 

事例の3番目は、同じく市原市の諏訪台古墳群。 

 

神門古墳群とは谷を挟んだ台地縁辺部に位置し、前方後方形墳墓とともに方形周溝墓(方墳)もあり古墳時代前期まで継続する。大型円墳も含む。



 

SS103号墳主体部からは盤龍鏡が、一辺中央に陸橋を伴うSS112号墳(古墳時代前期中頃)からは主体部から鉄槍やガラス玉出土した。

 

周溝からは、東海西部や畿内に由来する土器が多数出土。

 

その中には駿河東部からの搬入品とみられる大郭式(おおくるわしき)大型壺もあった(諏訪台SS112号墳)

 

大郭式大型壺についての解説。

大廓式土器は古墳時代への移行期から古墳時代前期にかけての駿河東部の土器様式です。このうち大型の複合口縁壺や、内面に粘土紐をまわして突帯とする口縁部形状と白色の砂粒を多く含む胎土、白っぽい色調が特徴です。西は大阪から北は宮城県まで広い移動範囲をもちますが、主な移動先は関東です。その特徴的な形状と胎土から破片でも認識しやすく、搬入品の判断もしやすいと言われます。移動例いおける搬入品の比率は高く、口径30~40cm、器高60~70㎝に及ぶ場合もある大型の壺を遠隔地まで運ぶ理由が気になるところです。
伊勢湾岸地域や畿内発の土器拡散のように移動先での定着を見せるものではありませんが、駿河東部の前方後方墳・高尾山古墳との関係や、古墳時代前期になって移動が盛んになる様相など、関東以北の古墳のひろがりに関係する土器移動の一例として注目されます。ここでは、大郭式土器とその移動先をいくつか紹介します。

 

諏訪台古墳群のある上下諏訪神社へは、神門古墳群とともに訪ねた。

 

4番目は、神奈川県海老名市の秋葉山古墳群。

前方後円形墳墓3基、前方後方形墳墓1基、方形墳墓1基から成り、前方後円形3基の変遷(3→2→1号)は前方部長大化の傾向を現す。

 

最も古い3号墳(3世紀代)の墓坑上からは東海西部系の高坏や片口台付鉢が出土しているが、それらには水銀朱の微量な付着が認められ、葬送儀礼に希少な水銀朱を用いたことが推定されるそうだ。 

 

発掘調査時の3号墳の写真も。

 

2号墳出土の壺。

 

秋葉山古墳群を訪ねたのは古墳探訪を始めたばかりの時期だった。

 

 5番目は神奈川県平塚市の塚越古墳(と真田・北金目遺跡群)

 

前方後方墳の塚越古墳(古墳時代前期後半)は真田・金目遺跡群に隣接していた。それ以前に造られた前方後方形周溝墓(58A区SDH001:古墳時代前期)を避けるように築かれる。

下記の中央やや右、しゃもじのように浮かび上がるが前方後方墳の塚越古墳、左に前方後方形周溝墓。

 

別の前方後方形周溝墓(61C区SDH001:古墳時代前期)は、方形周溝墓を切るようにつくられており、この遺跡では方形周溝墓から前方後方形周溝墓、そして前方後方墳へという変遷が見て取れるのだそう。

 

前後関係の明らかなそれぞれの周溝からは東海地方西部との関わりが認められる土器が出土。

 

塚越古墳から出土土器。 

 

埋葬施設からは水銀朱や管玉も出土している。

 

塚越古墳の探訪は2年前。

 

 

 

南関東市リース最後の6番目は、静岡県沼津市の高尾山古墳だった。

 

高尾山古墳は、古墳時代の幕開けの頃のものとしては東日本最大級の規模をもつ古墳。
現状では古墳群の形成は認められず、富士宮市の丸ヶ谷戸遺跡の前方後方形周溝墓(下の写真右)から高尾山古墳への流れが、駿河東部における前方後方墳出現過程のモデルとなっているそうだ。

 

主体部直上では地元の土器である大郭式の壺銅部破片、壺パレス文様部破片、胴部欠失の二重口縁壺などが出土。墳丘・周溝出土の土器からは、東海西部、北陸、関東など広域での交流があったことが窺え、土器の時期幅からは副葬品等から推定されている3世紀中葉という築造時期を遡るという考えも示されているとのこと。

 

高尾山古墳は2017年に訪ねた。道路建設で削平されなくて本当によかった。

 

古墳時代前期の関東の古墳の様子が概観できる、非常に興味深い展示でした。

エントリは次回もまだ続きます。