墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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尾上車山古墳 岡山県岡山市北区尾上

その頂上に中山茶臼山古墳を頂く吉備中山には、他にいくつも古墳が残っているが、今回は見学のしやすそうな国史跡・尾上車山古墳のみを選んで訪問した。

 

入口は二車線の坂道の途中にあるので、車を坂下の道路脇に停めて再び200mほど上った。

 

説明入りのサイン。 4世紀後半は古い、135mは大きい。実測図の美しさも期待が高まる。

尾上車山(おのうえくるまやま)古墳
古墳時代前期後半(4世紀後半)に築かれたと推定される、全長135mの大型前方後円墳です。後円部の墳丘がぐるぐると開墾されていたため、地元では「ギリギリ山古墳」とも呼ばれています。築造当時は、児島と本土との間の海域を眼下に見ることができる要衝で、内海に面していました。この海域を支配していた大首長の墓と考えられており、墳丘上では埴輪も出土しています。昭和47年(1972)11月に国の史跡に指定されました。
(看板提案:吉備の中山を守る会)岡山市

 

ルートは結構山道。

 

サインは最初だけで、途中の分かれ道には無く、しばらく間違えたことに気づかずに、写真の右の道へ登りすぎてしまった。 

正しくはこのあたりで左に入る。

 

その先は少し開けた感じ。

 

そこには小さな畑があった。緑のネットを左へ迂回。

ここでも道がわからなくなったが、畑で作業中の方がおられてルートを教えていただいた。

 

ネットの先、鉄塔の下を左へ。

 

その先、竹藪の間から、墳丘の段々が!

 

大きな後円部が現れた。感動のひと時。 

 

後円部テラス上にあった説明板。 

国指定史跡 尾上車山古墳
全長138.5m、後円部径96m、同高約11m、前方部幅52m、同高9mを測る前方後円墳で、ギリギリ山古墳とも呼ばれている。吉備中山南東部、標高50mの尾根部先端に位置する。現在、南方には平野が広がっているが、この古墳が築造された当時は山裾まで海が迫っており、内海に面した大形前方後円墳であった。
墳丘は、後円部三段、前方部二段もしくは三段築成で、墳頂における比高差は6mである。墳丘上で埴輪が採集されている。
築造年代は、墳丘形態や埴輪から古墳時代前期後半(4世紀後半)と推定される。同じく吉備中山にある中山茶臼山古墳(全長105m)に続いて築造された首長墓である。
昭和47年11月に国の史跡に指定された。
平成28年3月 岡山市教育委員会

 

そこから見た前方部。

 

後円部墳頂。

 

後円部の縁から前方部を。

 

そこに後円部も含めて。 大きさを実感できる墳丘。

 

後円部墳頂から来た道を。

 

逆サイドの後円部脇は竹藪の谷。

 

後円部先端側も急斜面の谷。

 

2段目のテラスにも若い竹が次々と。

 

後円部斜面の段々の数が多いのは後世に「ぐるぐると開墾された」(なので別名ギリギリ山)の跡でしょう。

 

前方部の先端まで行って振り返った後円部。

 

縦位置で。

 

 前方部の先端の樹々。

 

 

前方部端にて、北東方向の眺めが得られるポイントがあった。 

 

前方部南側にも小径がついていて、少し降りると南東側の眺望が広がった。

 

新幹線の高架をズームにて。目の前はかつての児島湾で、奥は現在の児島半島で金甲山などが見えている。

 

古墳の立地が、本土と児島との間の海域を眼下に見ることができる要衝であることを実感できた。

 

帰り際、右のくびれ部をパノラマで。

 

そこから右の後円部側面を。