11月の最初の連休に岡山で私的会合があり、前後に古墳探訪も組み込んで贅沢な(?)旅をした。
帰路に山陽本線沿いを途中下車して兵庫県の古墳も数基訪問したので、まずは最後に訪ねた五色塚(ごしきづか)古墳から。
「墳丘からの眺め」というブログ名をつけたからには訪ねないわけにはいかないと思い続けていた一基。
垂水駅・山陽垂水駅から徒歩11分の駅近古墳でもある(山陽電鉄の霞ヶ丘駅は更に近くて4分)
駅の北西の通り沿いの斜面を上った。
一戸建ての多い住宅地だが造成中の箇所も。
丘の上の陽当り良好な街。
左に枝道に入ると墳丘の一部が。北側からのアプローチ。
巨大な後円部が眼前に。築造当時と想定する姿に復元されているが、整備工事には1965年から10年かけている。
左手・東側を望む。周濠の大きさも大迫力。
現在地はかつての周堤上になるが、東側には二重周濠外側の堤も一部残っている。写真中央奥の周濠内にはマウンドも。
右(西)側。後円部底部の直径は125mある。
少し西に移動してパノラマで。後円部斜め上の位置からで、右に前方部も写っている。
グーグルアースで。前方部を南西方向、明石海峡の方へ向けている。
右へ降りていくと墳丘へ上がる入口がある。9時~17時開園・年末年始休園で無料。
視線を左へ向けてくびれ部。
さらに左へ後円部。
さらに左へ周濠。パノラマでは収まらなかった。
管理棟内には円筒埴輪などの出土品を見ることができる。現在墳丘に立っているのはレプリカ。
管理棟で、市までの住所と人数を書く。リストにはこの日だけ(15時時点)で70名ほどになっていた。ほとんどが兵庫県の方だったが、自分以外に千葉県の方も!
後円部裾には記念碑と説明板。
史跡 五色塚古墳
五色塚古墳と小壺古墳は、古墳が造られた当時の姿が見られる野外博物館として、文化庁が計画を立て、神戸市により1965年から10年の歳月をかけて発掘調査と復元整備工事が行われました。
五色塚古墳は墳丘の全長194m、後円部の高さ18.8mの、兵庫県下最大の前方後円墳です。周囲は深い堀と、今は見ることができませんが、浅い濠で二重に囲まれています。墳丘は三段に築かれ、下山の斜面には古墳付近で集めた小さな石を葺き、中段と下段の斜面には淡路島から運ばれた大きな石を葺いていました。
墳頂と各段の平坦面には鰭付円筒埴輪・鰭付朝顔形埴輪をめぐらせていて、およそ2,200本たてられていたと推定されます。濠の中には東西のくびれ付近に方形マウンド(島状遺構)が造られているほか、円筒棺を埋めたマウンドもありました。
五色塚古墳では、後円部にあると考えられる埋葬施設などの発掘調査は行っていません。古墳が造られた時期を推定する材料は少ないのですが、埴輪の形などからみて、4世紀後半ごろと考えられます。
神戸市教育委員会
城壁のようにそびえる墳丘へ。
後円部に立つ人が小さく見える。
どんな眺めが待っているか期待しながら一歩一歩上がる。
前方部上へ。
広い。
目の前に淡路島。明石海峡大橋の雄姿も。
被葬者は、明石海峡を中心とした海陸交通要衝の地を支配していたと考えられている。
葬られた人物
五色塚古墳・小壺古墳は、須磨から明石にかけての海岸線が突出したところに造られています。墳頂からは、明石海峡をへだてて淡路島が望め、右手に播磨灘、左手に大阪湾、天候がよければ小豆島や紀伊半島・友ヶ島まで望むことができます。
現在は眼前に埋め立て地が広がりますが、五色塚古墳・小壺古墳が造られた頃の海岸線は国道2号線付近で、海を見下ろす位置にあたります。そのため、明石海峡を中心とした海陸交通要衝の地を支配した人物が葬られているのではないかと考えられます。
前方部先端から。
墳裾をかすめるように山陽電鉄が通っていた。
南東側の眺め。
カップルで来ている方も多かった。
前方部端から振り返った後円部。
前方部と後円部とには結構な高低差がある。
立ち並ぶ埴輪列は荘厳。
後円部の西隣には、小壺古墳がある。
逆サイドの東側、くびれ部脇の濠には方形マウンド(島状遺構)が(この日こちらに降りる階段は立入禁止になっていた)
方形マウンドは、もとは西側にも左右対称に存在した。
後円部の東斜面。見えているマンションからは墳丘と海峡と橋がよく見えそうで羨ましい。
いざ後円部へ。
とても素晴らしい、墳丘からの眺め。
紀伊半島や友ヶ島も見えていた。
中央左奥の山並みも淡路島。大きな島。
かつては、このような船が目の前の海峡を行き交っていた(実物大復元の古代舟@兵庫県立考古博物館)
後円部墳頂も広かった。
パノラマで埴輪列を(円周に立っている)
墳頂にあった説明板。
埴輪列の復元
五色塚古墳では、墳頂部・上段平坦面・中段平坦面の三段に埴輪が並べられていました。古墳全体ではおよそ2,200本もの埴輪がめぐらされていたと推定されます。
埴輪の大部分は鰭付(ひれつき)円筒埴輪で、4~6本に1本の割合で、鰭付朝顔形埴輪が立てられていました。埴輪列は、幅0.5~0.7m、深さ0.4~0.5mの溝を掘り、その中に鰭が接するか前後に重なるように並べ、土で埋めて固定しています。
また、蓋(きぬがさ)形埴輪や家形埴輪、盾形埴輪なども少量発見されています。
後円部と前方部墳頂の埴輪列は、出土した埴輪をもとにして鰭付円筒埴輪と鰭付朝顔形埴輪を合成樹脂で制作し、復元しました。
後円部墳頂から北方向。緩やかな傾斜が先まで続いている。
そこから西側。
後円部から見た明石海峡大橋。
後円部から降りながら、右手の小壺古墳。
前方部を降りながら、右手の後円部。
後円部の”テラス”部分。
前方部の”テラス”部分。
前方部の左裾から見上げて。
前方部先端の裾。右側、柵の向こうに山陽電鉄の線路。
一応、山陽電鉄の車窓からも撮ってみました。
復元整備事業の概要(写真が豊富~明石海峡大橋が架かる前)は、こちらからダウンロードできます。
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/10759
ちなみに、2019年11月9日のテレビ番組「世界ふしぎ発見!」は古墳特集で、五色塚古墳にも取材があったそうです。必見では。
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/
2019年11月訪問