前回のつづき、赤羽駅北側の高架の東側を駅方向へ。
途中のガード下に、在来線の建築限界の数値がパネルに示されていた。
その先で再びガードを西へくぐって、未探訪だった坂道へ。
うつり坂という名。由来は不明のようだ。
うつり坂
赤羽台東小学校の北にあるこの坂は、旧板橋街道の坂道の一つです。大正8年(1919)に旧陸軍被服本廠が赤羽に移転すると、被服本廠通用門への坂となり、関係者以外の通行は出来なくなってしまいましたが、戦後、被服本廠の跡地に赤羽台団地が出来たため、元の坂道となりました。かつて坂の上には道祖神、庚申塔がありましたが、現在は団地内に移され、祀られています。
坂下方向。
近くに、丁寧に祀られていた石碑。
そのあたりから坂上方向。
解体中の団地建物も。
壊す順序はあるのだろうか。
左に入った枝道でも解体中。
解体を待つ街区。
その先で左折し、「大坂」を下った。
坂下付近に残る昭和的建物。