墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

我善坊谷再開発・工事区域閉鎖前(2019年3月末時点) 東京都港区麻布台

前回の我善坊谷(森ビル 虎ノ門・麻布台プロジェクト)の半年前・2019年3月末時点の様子を(写真多めです:50枚弱)

 

現在は閉鎖されている行合坂の南端から。港区議会選挙が行われようとしていた時期。

 

坂の途中にあったベラルーシ家庭料理の「ミンスク

 

現在はロシア大使館の斜め前に移転。

 

降りた底から振り返った南側。

 

そこから左(東)に目をやると、落合坂がゆるく下る。

 

入ってすぐ先の右手にあった小公園。

 

現在は更地になっているので、最後の一咲き。

 

大木ではないが、見事なドームになっていた。

 

植わっていたのは隣の敷地。

 

後ろは更地だったので、咲き終えるまで残されたのでしょう。

 

公園には「横川省三記念公園」との標柱が。

検索すると、盛岡市のサイトに解説があった。

横川省三(1865~1904)は盛岡藩士の家に生まれた自由民権運動家・朝日新聞記者。
加波山事件で1年8ヶ月間投獄されもしたが、郷里で自由民権運動家となった後、新聞記者、北米での農業経営、ハワイ移民斡旋業などの職を経て明治34年(1901)年に清国公使の求めに応じ中国へ渡り、日露戦争における特別任務班第六班班長となった。1904年に満州ハルピンにて処刑。

http://www.city.morioka.iwate.jp/shisei/moriokagaido/rekishi/1009526/1009578/1009589.html

Wikipediaには、「ロシア軍の東清鉄道爆破任務のためラマ僧に変装して満州に潜伏するが、チチハルにて捕縛されハルピンで銃殺刑に」ともある。

 

また、国際留学生協会のサイトにも詳細な説明があり、「国家に殉じた愛国の志士」「ロシア人を感動させた工作員」とも記されていた。

http://www.ifsa.jp/index.php?yokokawashozo

波乱万丈の一生に心を動かされた。公園の標柱が無ければ知ることはなかった…

 

公園の一画には横川省三を顕彰する石碑とプレートも。

 

近くにあった地図にも公園名が書かれていた。

 

公園からさらに落合坂を東へ、囲いの間を進む。

 

左にあった麻布センチュリーマンション。まだ残っている人がいた様子。 

 

その先、閉鎖された枝道。

 

扉の隙間から見ると、まだ「日常的」な雰囲気。

 

さらに先へ。囲い壁の向こうは解体が進んでいたようだった。

 

こちらも閉鎖された枝道。

 

道に出されたバケツ類が若干非日常的。

 

落合坂の終点が近づいてくる。正面は霊友会の建物。 

 

左(北)側の台地上には、すでに中・高層のビルが立ち並んでいる。

 

台地下の建物が無くなって、姿を現した崖面。

 

別の角度から。

 

住民はほとんどいなくなっているが、選挙ポスター掲示板は組まれていた。

 

解体中のビルも。

 

その後ろの、由緒ありそうな洋館も。

 

振り返った南側の台地上には、解体を待つ麻布郵便局。

 

上下を連絡する坂で、紫の花が満開だった。

 

落合坂東端のクランク状の道筋。江戸期からの名残り?

 

「東京時層地図」アプリで。中央のクランク。

 

文明開化期。俄善坊町の俄の字の上にクランク。

 

その先で左(北)に曲がって、我善坊谷坂へ。

 

坂に沿っての昭和風民家。

 

3年前には木造家屋も並んでいた【2016年10月】

 

水路の底を遡っている気分になる。

 

左へカーブして台地上へ。

 

カーブの途中で振り返って。

 

カーブを振り返って。

 

坂上の分岐点。

 

 その時の、台地上からの眺め。

 

現在(2019年10月)は、郵便局も無くなった。

 

現在は更地になっている街区。 

 

ズームした三年坂。

 

再び谷へ降りて、三年坂へ。これが登り納めになった。

 

左手に霊友会の建物を見ながら。

 

三年坂を登り始めて振り返って。

 

坂上から見渡した我善坊谷。