墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

我善坊谷再開発(森ビル 虎ノ門・麻布台プロジェクト)2019年10月頭時点 東京都港区麻布台

麻布台の三年坂を訪ねようとしたら、手前で道が閉鎖されていた。

 

手を伸ばして囲いの内側を狙ったが写らなかった。

 

3年前に訪ねた時の三年坂【2016年10月撮影】

 

坂上は我善坊谷(がぜんぼうだに)全体を見渡せるポイントだった【2016年10月】

このときは、こんな大規模な再開発が予定されていたとは知らずにいた。

 

計画区域は8.1ha。 

 

囲い手前の建物も対象区域。

 

そこに掲示されていた「建築計画のお知らせ」

 

別の場所にあった、同じお知らせ。

なんと地上64階のビルが建つ。最高地点は325m。東京タワーの先端に近い高さ。

それが3年半後の2023年3月に完成してしまう。 

 

谷の西端には行合坂があったがここも閉鎖となっていた。

 

3年前に坂を降りた。下がってまた上がるまでが行合坂【2016年10月】

U字の底からは、さらに西へゆるやかに「落合坂」が下っていた。

 

上記の写真の壁の上の車道部分に、今は歩道が設けられている。

 

落合坂の起点の上あたりから西方向。柵の上から。

 

3年前の落合坂。壁を背にして【2016年10月】

 

2019年9月末時点、再開発エリアの縁をさらに回って北側の台地上から。

 

今年の3月に訪ねた時(次回以降エントリ)では、対岸台地上の麻布郵便局建物がまだ残っていた 【2019年3月】

 

今では跡形もない。この跡地に64階のビルが建つ。

 

手前の谷には54階建てが2本。

 

このくねくねは、別れ道の跡。

 

右へ降りていたのが我善坊谷坂(稲荷坂)【2016年10月】

坂道研究家の山野勝氏が記した坂名由来を再引用。

http://www.to-gisi.com/magazine/42/doc05.pdf

寛永3(1626)年10月、二代将軍徳川秀忠の正室であるお江与(崇厳院)が逝去し、その葬礼が芝増上寺で行われた。荼毘に付されたのは、今の六本木駅近くにある深広寺の旧地だったが、葬列の途中の道筋にあたる坂下のこの谷地に仮御堂が置かれた。この仮御堂のことを龕前堂(がんぜんどう)と称し、 後にこの一帯が龕前堂谷と呼ばれるようになりやがて我善坊谷に転訛したという。

もう一つの説は、この谷地で座禅を組むお坊さんがいたので座禅坊谷という地名が起こり、これがなまって我善坊谷に変わったともいう。

 

ネットの向こうには、まだ道が残っていたが…

 

囲いの上からの我善坊谷。

 

【2016年10月】

手前の我善坊谷坂から途中で落合坂と交差して向かいの三年坂へ続く道。

 

開発区域を南側・台地上のバス通りから。通り沿いにはロシア大使館もある。 

 

半年前、ほぼ同じ位置から【2019年3月】

 

ここには麻布郵便局・日本郵政グループ飯倉ビルがあった【2016年10月】

 

旧逓信本省庁舎で昭和5年(1930)に竣工。昭和18年(1943)から逓信本省庁舎として、1949年から1969年までは郵政本省庁舎として使用された。

正面には堂々たる列柱も【2016年10月】

 

 列柱の上部だけが見えていた2019年3月。

 

中央左よりが上記の列柱。囲いの中の全部がひとつの建物【2019年3月】

 

今は更地に。

 

下記の絵は森ビル公式サイトから引用。右の64階建てビルが上記の跡地に建つ。

https://www.mori.co.jp/projects/toranomon_azabudai/

イメージ

上記のサイトによれば、8.1haの敷地面積のうち、緑化面積は2.4haになるという。

昭和初期の建物だけでなく、三年坂・行合坂・落合坂・我善坊谷坂、スリバチ景観なども失われることになると思うので、世界に誇れる魅力的な街区を築いていただきたいです。