前回のつづき、ツアー記の最終回になります。
蛇坂を経て着いた赤羽自然観察公園は、赤羽台南側の谷戸のどんづまりでした。
一部は保護区域になっていて、今でも水が湧いています。
流れ出た小川の観察ポイント。北区赤羽天然水?
茅葺民家もありました。
北区浮間から移築された江戸後期の民家。
東京都北区指定有形文化財(建造物)
旧松澤家住宅 附 倉屋
北区赤羽西5-2-34 北区赤羽自然観察公園内
規模:主屋 桁行9間 梁間5.5間(うまや桁行2.5間 梁間2.5間)
倉屋 桁行3間 梁間2間
建築年代:江戸時代後期
旧松澤家住宅は弘化元年(1844)に創建されたと伝わる民家です。北区浮間に所在していた建物を、この場所に移築しました、主屋は寄棟造りの茅葺屋根で、棟に「箱棟」という瓦葺の小屋根がついています。間取りは、向かって左に「どま」がつき、右側い田の字がずれた形に4部屋が配置される「喰い違い四間取り」形式になっています。主屋に付属する「うまや」は明治初期頃に増築されたとされ、建物も同時期の間取りい復原しています。広い屋根裏は茅や藁などの保管場所として使うほか、洪水時の避難場所としても使われました。これは当時の浮間をはじめとする荒川流域が洪水にたびたびみまわれた地域であったためで、これらの地区では「水塚」とよばれる高く盛り上げた敷地の上に家を建てていました。裏の倉屋は、主屋より創建が古いとも伝わっていて、礎石の上に直接柱を立てるなど、土台のある主屋と異なった建て方をしています。
平成17年3月 東京都北区教育委員会
内部に上がることもできます。
一休みした後は、赤羽台の北を目指します。公園の園路で一行の先頭を行く皆川会長と家族参加のお兄ちゃん。スリバチにとても詳しく、リュックには会長の著書も。”スリバチ王子”と心の中で呼ばせていただきました(ちなみに古墳見学界では”古墳王子”が有名です)
公園の北側には赤羽台団地が。団地内では建物の更新が進んでいました。
赤羽台二丁目の交差点の北側には、陸軍兵器補給廠専用線の跡が赤羽緑道公園となって残っていました。遊歩道の敷石が線路風(少し幅広ですが)
廃線跡を進んで振り返ったところ。右はスリバチ地形内にある墓地で、いわゆる”スリボチ”。
廃線跡はこちらの方のブログに詳しく解説されていました。
http://www.hotetu.net/haisen/kanto2/111112rikugunheikihokyusyou.html
この付近で、会長とっておきの(?)一級スリバチ地形へ向かいました。”底”には井戸も。
赤羽緑道公園の東端から先。真ん中に廃線跡が続いています。
その先、新幹線のトンネル入り口の下へ。
赤羽八幡神社への車道の坂が。
一行は線路をくぐって正面参道へ向かいました。この石畳道も旧廃線跡だったようです。
こちらが参道。武蔵野台地の北東端。
かつては岬のようだったと思われる場所に、赤羽八幡神社が鎮座していました。
坂上田村麻呂の創建とされます。
神社の絵馬の印が「∞」であることで、いつしか関ジャニ∞ファンの聖地になっているそうでした。
境内の端には、鉄道鑑賞に絶好のスポットが。右からトンネルで社務所の下を新幹線が通っています。
拝殿裏の一画。すぐ後ろの星美学園には古墳が残っていますが、八幡神社境内は社務所以外は平らな敷地。
星美学園の墳丘はこちらの、ご~ご~ひでりんさんのブログに記録されていました。
http://gogohiderin.blog.fc2.com/blog-category-38.html
帰路は車道を下りました。新幹線撮影スポット。
坂の途中で右手に広がった眺めもスリバチ地形。向かいが赤羽台、左奥の白い建物は東洋大学です。
埼京線・新幹線と、東北本線(上野東京ライン)の間から見た八幡神社の丘。
そこから赤羽駅東口へ回ると、魅力的な飲み屋街。
17時ぐらいでしたが、そこここで宴会は始まっていました。
ツアーは2次会もありましたが、予定があったのでお先に失礼させていただきました。行って来たばかりのスリバチを語り合うというセッティング、さすがです。
次回は都合が合わないのですが、また参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。