前回からの小樽のつづき。
港近くの小樽市観光プラザ(旧小樽倉庫・明治23~27年竣工)に寄ったとき、中でブラタモリの番組ロケで紹介された場所が示されているのに目が留まり、「水天宮」がとても気になってしまった。
上記の旧小樽倉庫の中庭。
一旦ホテルに戻ったが夕食の予約時間までは一時間以上あったので、水天宮に一人で行ってみることにした。
運河へ流れる小川の前から丘の上の水天宮の方向を(左の丘の上)
グーグルマップでは徒歩11分。
川沿いに坂を上って枝道へ。上ってきた道は「寿司屋通り」といって寿司屋がひしめきあっていた。
雰囲気のある枝道。
奥にはなんと階段の分岐。
上がった先には黄色い消火栓。この色の消火栓はこの後も何度も目にした。
下記のサイトに小樽市消防本部のコメントを含む説明があった。小樽では後背地の山に35の配水池があって水道管系統も40あるため、職員の発案で火災時に消防隊がお互いに安定した水源で消火活動できるよう、消火栓を系統別に色分けしているのだそう。
https://pucchi.net/hokkaido/closeup/otaru-fireplug.php
そのあたりで振り返ってズームすると、海上保安庁の巡視船が見えた。
下半身はリラックスしながら、警戒するネコ。
マップのルートは旧寿原(すはら)邸の前を通った。
かつて銀行の支店が20もあったほどお金が集まっていたということは、資産家がいたということで豪邸もあったのも当然でしょう。
小樽市指定歴史的建造物 旧寿原邸
建築年:大正1年(1912) 構造:木造
この建物は、小樽を代表する実業家寿原家の邸宅です。水天宮の北側、急な傾斜地に建てられ、主屋から上手に2つの接客棟を連ねています。庭園は、斜面を三段に地割りし、上段には和室に面して池を配した日本庭園があり、中段に洋間に六角雪見灯篭を配し、下段では小樽港を見下ろすことができます。小樽市
お隣との境界には重厚な煉瓦壁。
屋根は一昨年改修された模様。下記のサイトにて、映画「Love Letter」監督 岩井俊二のロケに使われたことを知った。
https://pucchi.net/hokkaido/closeup/kotobuki.php
そこから目と鼻の先に水天宮へのスロープが。
振り返ると西側に延びる参道。
ズームして。突き当りの緑は小樽公園。
水天宮への最後の上り。
拝殿の横に出た。まずは参拝。
正面(南)の鳥居側から。
振り返った先も見通せる。水天宮は周囲を見渡せる独立丘に立地していた。
小樽市による説明板。
小樽市指定歴史的建造物 水天宮本殿、拝殿
建築年:大正8年(1919) 構造:木造
小樽の水天宮は安静6年(1859)、現在のところに建立されています。現在の社殿は大正8年(1919)に市内の多くの社寺を手がけた伊久治三郎によって建てられています。本殿、中殿、拝殿が連結する形式の権現造りで、屋根は銅板葺きです。本殿は流造り、拝殿は入母屋造りの屋根で、建築当初の姿を保っています。境内から小樽港を一望でき、多くの市民に愛されている建物といえます。小樽市
拝殿奥の本殿。
そこからの小樽港の眺め。
北側をズーム。標高55mあって良く見渡せる。
東側。埠頭には大きなフェリーが停泊していた。新日本海フェリーは小樽と新潟や舞鶴を定期航路で結んでいる。
境内の東側にも出入口。
急傾斜のストレートな石段が。
最初の踊り場から。
次の踊り場から。
そこから振り返って。
途中に、門柱を残して自然に帰りつつあるお宅。
下まで降りて振り返る。なかなかスリルがあった。
そこから丘の中腹に道を北へ向かう。右100mの坂下に並行する堺町通りの賑わいとは別世界。
グーグルマップ上に印のあった旧板谷邸へ寄ってみた。
ごちそうの写真看板の隣に小樽市の解説板があった。
小樽市指定歴史的建造物 旧板谷邸
建築年:大正15年(1926)~昭和2年(1927) 構造:母屋・木造、蔵・石造
この建物は、海運業などで財をなした板谷宮吉の邸宅でした。東雲町の高台にあり、和風の母屋とその北側に続く洋館、それに背面の石蔵からなり、内外ともに創建時の姿をよくとどめています。木造モルタル塗りの洋館には、銅板で葺いた万サード屋根をので、堂々とした雰囲気を醸し出しています。一時は取り壊しも懸念されましたが、関係者の努力により商業施設に転用されています。小樽市
回り込んでいくと、客室建物を後ろに背負った日本家屋が。
洋館も付随。 大正15年〜昭和2年(1926~1927)に建てられた。
石造りの蔵も。今は歴史資料館になっていると後から知った。
このときは敷居が高く感じたので外から見るだけとしてしまった。
今は、海宝樓クラブというリゾートホテルとなっている。時期にもよるが一泊一万円台。次の機会があれば泊まってみたい。
板谷邸前の坂を上ってすぐの尾根筋からの下り坂は懐かしい感じがした。
坂の途中にも豪邸が。左の板壁から右のほうへ、甍の波が続いている。
坂下側から。壁は板壁ではなくコンクリに板を貼ったものだった。
旧 光亭(こうてい)という、数寄屋建築の料亭だった。
小樽市指定歴史的建造物 旧光亭(こうてい)
建築年:昭和12年(1937) 構造:木造
もとは東京信濃町の料亭「光亭」の小樽店として、昭和12年に建てられました。主屋の東側に3つの棟を配置し、中央の棟には「茶室」があります。主屋は入母屋妻入りで、外壁を押縁下見板とした和風の外観が特徴です。2階の大広間には、座敷飾の床、付書院、地袋棚を備え、それと対面して舞台となる檜の板の間が設けられています。市内に残された本格的な数寄屋建築の料亭として貴重な建物です。小樽市
二階にも大広間がありそう。
北海製罐株式会社・罐友倶楽部という札が掲げられていた。
中の様子が気になるところ。
寿司屋通りに戻って一回り。
歴史的建物は大通り以外にも沢山ありすぎて、常にカメラを向けながら歩く状態だった。