墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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小樽・堺町通り~旧金融街界隈 北海道小樽市堺町・色内

江別古墳群へ行った後は札幌駅に戻り、車を返却して電車で小樽へ向かった。

快速エアポートだと5駅目で30分強だったが、結構混んでいて座れなかった。

(Uシートという指定席車両があったので着実に座りたい方にはご利用をお勧めします)

 

小樽に着いてホテルに荷物を預け、まずは北一硝子(3号館)へ。

 

建物内に残るトロッコ軌道はブラタモリでも取り上げられたもの。

 

石壁の隣はランプのホール。

冷たい飲み物と甘いもので休憩。ピアノの生演奏がありました。

 

そこからは妻と娘はショッピング、自分は両親と息子とともに堺町通り・色内(いろない)大通りをゆっくり歩きながらホテルへ戻りました。

 

堺町通りでは多くの石造りの古い建物が、現役の店舗として使われています。土産物や飲食店が多く、そぞろ歩きをする観光客で大賑わい。

 

色内交差点付近は「北のウォール街」と呼ばれたエリア。

旧北海道拓殖銀行は大正12年(1923)築。現在は似鳥美術館。

 

小樽市による説明板にはロシア語も併記。

 

色内交差点の南側から。

 

ここだけ切り出すと、東京・丸の内あたりの雰囲気。

 

交差点の角には他に旧三菱銀行(大正11年・1912築)、旧第一銀行(大正13年築)と小樽郵便局(平成6年築だが周囲に合わせたデザイン)が建っていて壮観。他にも銀行や商社だった建物が多く残るが、元の役割をそのまま果たしているものはないようだった。

 

色内大通りと交差しているのは日銀通りで、すぐ南西側の交差点に旧日本銀行の建物(大正11年・1912築、今は金融資料館)がある。辰野金吾の設計。

 

その対面には、旧三井物産(昭和12年・1937築)

 

枝道を挟んで旧北海道銀行本店(明治45年・1912築)

 

奥はモダンな造りだが、創建時からは手が入っているようだ。

 

色内交差点に戻って、色内大通りを北西に見ると旧三井銀行(昭和2年・1927築)

 

設計は曽禰中條建築設計事務所。

 

現在は小樽芸術村(ニトリが運営する美術館群)のひとつとなっている。

 

広場に面して、かつての倉庫などが美術館やカフェに。

 

Good job! ニトリさん。

 

「北の金融街」の解説もあった。

小樽金融街
大正11年(1922)頃の小樽銀行街。
左が三菱銀行(1922年竣工)。右が北海道拓殖銀行(1923年竣工)、左奥が第一銀行(1924年竣工)の各小樽支店。小樽運河が完成し、市内銀行数が25にのぼった繁栄の頃。

 

色内大通りをさらに北へ進むと、小樽駅と港へまっすぐ伸びる中央通りとの交差点に出る。その手前には旧第四十七銀行(昭和11年築、現・渋谷建設)

 

中央通りの反対側には旧安田銀行(昭和5年築)が。

 

現状は花ごころというチェーン店。内装にはオリジナルの重厚さが活かされている。

http://www.comsen.jp/hanagokoro/hanagokoro_facilities.html

 

小樽は歴史的建造物だらけの街でした。小樽市のサイトには寺社も含めて85棟が記されています。まるで”現役”の江戸東京たてもの園のような…

今回は内部を見る時間が取れなかったので、再訪してじっくり見学したい。

https://www.city.otaru.lg.jp/simin/gakushu_sports/kenzo/f_s/

 

建物の解説は下記の日経のサイトがわかりやすかったです(日本の近代遺産50選の第一回)

http://www.adnet.jp/nikkei/kindai/01/

これだけの文化財が残っている理由は、街が「急速に衰退」したことによるそうです(と、ブラタモリから)

 

明治期から、ニシン漁、石炭積み出し港、日露貿易港として大々的に発展したが、戦後はそれらの産業が衰退し更に苫小牧港に物流拠点が移り、寂れるスピードがあまりにも急で運河や建物を作り変える間もなかったために歴史的建造物が残る観光名所になったとのこと。

 

放送は2015年11月14日、もう4年近く前になりました。

https://www.nhk.or.jp/buratamori/list/index-21-30.html