鹿島沢古墳(跡?)の見学後は、南に車で5分ほど尾根を遡った丹後平古墳群へ。
標高は6mほど高い場所になる。
グーグルマップを頼っていくと、擁壁に立派な看板のある交差点に着いた。
上り口がわからないので時計回りに一周してみることに。
100mほど先で右折。
上がった先でも1mほどの壁とフェンスがあったので、フェンス越しに。
パノラマで。
ここでも墳丘は目視できなかった。
そこから歩道を進むと、角に階段があったが無常にも立入禁止の鎖が(撮りそびれたのでストリートビューで)
階段脇にあった解説板。国指定の史跡。
史跡 丹後平古墳群
丹後平古墳群は、飛鳥時代から平安時代にかけて形成された総数100基前後と推測される古墳群です。ここには当時の中央政府(律令国家)から蝦夷(えみし)と呼ばれた人々の、有力者が埋葬された円墳の跡が残されています。
古墳の築造は、7世紀後半に遺跡の南側から始まり、北に移動しながら9世紀後半まで続きました。埋葬施設は長方形に掘り込まれ、そこに板を嵌めた木棺のような構造であったと考えられます。古墳のほかに、土坑墓や関東・九州地方に類例のある地下式土坑(横穴)も発見されています。
古墳には、当時貴重だった武器類をはじめとして、馬具類や装身具類の数々が納められています。豊かな内容の副葬品を伴った古墳群が大規模に築かれていたことは、在地勢力の台頭とともに律令国家との深い関係を示しています。
このように、丹後平古墳群は蝦夷社会の実像を知る上で極めて重要な遺跡であることから、平成11年(1999)1月14日、古墳群の中心部分7016㎡が国の史跡に指定され、保存が図られています。
なお出土品は八戸市博物館で保管・展示しております。
平成21年3月18日 八戸市教育委員会◎15号墳と獅噛式(しがみしき)三累環頭大刀柄頭
これまで確認されている古墳の中で最大規模(溝の内側で約9m)を誇る15号墳では、朝鮮半島の新羅で作られたと考えられる刀の柄飾りが副葬されていました。
◎豊富な出土遺物
古墳の中央にある埋葬施設やその周りを巡る周溝から、様々な副葬品が発見されています。注目される遺物に、和同開珎、馬具の轡(くつわ)、鉄製の銙帯金具(カタイ金具:身分を示す帯の飾り)があります。
写真部分の拡大。主体部も露出している。
未調査の区域もあるようだった。
地図上の(1)と(3)の遺跡方向にも周ってみたが、それらしきものは見つけられなかった。
再び、徐々に高くなる擁壁に沿って。
元の交差点に着いて一回り。