大湯ストーンサークル館の見学後、その南側にある実際の遺跡、特別史跡・大湯環状列石へ進んだ。
米代川支流の大湯川左岸、標高180m程の台地上に構築された縄文時代後期前葉から中葉(約4000年~3500年前)の遺跡。
大湯環状列石は今から約4000年前の縄文時代後期の遺跡です。万座と野中堂の2つの環状列石があります。この遺跡は儀式の場やお墓として使用されたと考えられております。
ストーンサークル館内の案内図には、熊目撃情報により見学エリアの制限が示されていた。赤い線が熊除けの電気柵。
公式サイトを見ると7月12日~21日朝までは、熊の目撃情報で見学自体ができなかったようだ。
https://www.city.kazuno.akita.jp/soshiki/shogaigakushu/oyustonecirclekan/gyomu/1/1/1/2280.html
雨の中を歩いていくと、万座環状列石の周囲に復元された高床建物が見えてきた。
まずはルートがはっきりしていた野中堂に向かって、左にある道路を渡った(ルートでない草地を横切って行くと靴の濡れ具合が激しくなるので)
「野中堂」の前に出た。
渡ってきた道路に沿う電線が見える。
内帯と外帯による同心円がはっきりわかる。
パノラマで。左右の柵は遺跡内への見学者立ち入りを防ぐもので、熊除け電気柵ではない。
野中堂のほうの最大径は44mで、約2000個の石(61基の配石遺構)で構成される。
それぞれの配石遺構の下から、墓とみられる土坑が検出されている。
内帯と外帯の間には「日時計状組石」もある。あまり近寄れないのでズームで。
ちなみにこの遺構は同心円中心の北西側、2つの環状列石の中心を結ぶライン上に位置している。
立つ石の佇まいに、以前アイルランドで見た旧石器時時代の遺跡(5000年前)を思い起こした。
再び道路を横断して、万座環状列石へ。
パノラマで。
最大径52mで、6500個の石(109基の配石遺構)から成り、野中堂より規模が大きい。
左に木造観察台が見えているが、修復中で上がれなかった。
こちらも周囲に張られたロープの外側から見学する。
鹿角市のサイトによれば、当環状列石は「集団墓」であるとともに、隣接する掘立柱建物や周囲から出土した祭祀の遺物などから、葬送儀礼や自然に対する畏敬の念を表す儀式を行った「祭祀施設」と考えられているそうだ。
環状列石の形態は「定住とともに発達した集落形態である環状集落を背景としたもの」と紹介するサイトもあった。
石の6割は「石英閃緑ヒン岩」という淡い緑色の川原石で、当地から数キロの安久谷川から運ばれたことがわかっているとのこと。
展示館で購入したガイドブックに書かれていた、個々の配石遺構にさまざまなバリエーションがあるのは自分の家族(先祖)の墓を見分けるためであったかも、という仮説が心に残った。