墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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青函連絡船メモリアルシップ・八甲田丸 青森県青森市柳川

青森県立美術館からはバスで新青森駅へ戻り、青森駅までの一駅を特急に乗った。

 

お目当ては駅につながる旧青森桟橋に係留展示されている「八甲田丸」 

 

一旦外に出て駅沿いを歩いて行くと、橋上の線路と、その奥に船が現れた。

かつては船尾の壁が手前側に開き、船体内に続く線路に貨車などを積み込んでいた。

 

岸壁側の線路の橋は、船がいないときは上げられていた。 

 

ジョイントの部分。

 

コンクリ柱はジョイントの重し?

 

八甲田丸の船尾を。係留なので、今も船として浮かんでいる。

 

左舷中央に出入り口があった。観覧料500円。

 

青函連絡船は明治41年(1908)から昭和63年(1988)までの80年間、青森港と函館港を結び、延べ1.6億人の乗客と2.5億トンの貨物を運び、地球2000周分以上の距離を航行した。

歴代55隻の船の中で、八甲田丸は現役期間が最も長い23年7か月。

全長132m・全幅17.9mで、1286名の旅客と48両の車両を収容できたそうだ。

http://aomori-hakkoudamaru.com/shipguidance.html

 

客室は一部がかつての状態で残っていて座ることができる。

 

かつてのお座敷スペース(畳ではないが)は、マネキンなどによる再現展示エリアになっている。

 

順路に沿って進むと操舵室に。

 

そこから船首側の眺め。

 

眼光鋭い船長さんはマネキンです。

 

そこから甲板に出られる。

 

煙突には「展望台」との表記が。 

 

Japanese National Railways の大きなロゴ。

 

煙突内部には、太い管が複数集まっていた。

 

煙突上部に設けられた展望台からの眺め。右に下北半島が伸びる。 

 

振り返っての船尾側。かつては青森駅ホームからの跨線橋がそのまま桟橋に続いていた(青い屋根が青森駅プラットホーム)

 

操舵室に戻り階段を降りて、いざ船腹の「車両甲板」へ。

 

鉄道車両が船を通じて海を渡ることは世界的にも大変珍しいことなのだそう。

 

この見学路もかつての線路上。

 

船体側には連結器があった。

 

旅客車両キハ82形も。先頭車両の一両。

 

隣にはディーゼル機関車DD16。立派な鉄道博物館になっている。

 

客室にも電気が点っている。

 

振り返ると船尾の壁。ここが開いて最初に見た岸側の線路に接続する仕組み。

線路は中でも分岐して4線になる。

 

機関室の様子。今でも動かせそう。

 

エンジンの統括制御室。

 

順路は再び車両甲板に戻る。

 

再びキハ82の正面に回る。

 

隣の階段を上がっていくと見学コース出口となった。

自分は、小学生、中学生、大学生の頃にそれぞれ1回ずつ青函連絡船に乗ったことがある。当時は家族で都内に住んでいたが、父方の祖父母と親戚が十勝で農業を営んでいたので、夏休みに上野から帯広の近くの駅まで、丸一日の旅をした。

特急おおぞらも使ったことがあるが、キハ82形だったように思われる。

 

船が出るときに流れていた「蛍の光」が懐かしい。 

 

再び新青森駅へ移動し新幹線で盛岡に出て、この日仕事の入っていた妻と合流、レンタカーで秋田県鹿角郡小坂町を目指した。