墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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大煙突 日立武道館(共楽館) 日立かみね公園展望台 茨城県日立市宮田町・白銀町

グーグルマップにも記されている「大煙突」は、日鉱記念館と日立の町の中間あたりにある。

 

JX金属株式会社の敷地にあるが、現在も24時間稼働していて見学はできない。

 

道の反対側の駐車場敷地から。

 

平成5年(1993)に突然倒壊して3分の1ほどの高さになっている。大蛇のようなコンクリは煙突へ続く煙の道。

 

鉱山は昭和57年(1982)に閉じたが、金属再生の”都市鉱山”事業の一翼を担っている、と入口受付の方から伺った。

 

排煙成分もかつてとは違うのだろう。

 

 その下の構造物は博物館で見た説明によると、大正2年に政府命令で造った「命令煙突」(ダルマ煙突・阿保煙突)

煙突内に亜硫酸ガスを空気と混ぜて希薄化する目的があったが機能せず、かえって被害を増大させたそうだ。

 

 

そこから2㎞ほど町寄りの場所にあった目を惹く建物。

 

マップには、日立武道館と。

 

反対側に回ると華やかな意匠の玄関。

後で調べると現在は日立市の公共施設(柔道・剣道場)だが、Wikipediaによれば元は日立鉱山が経営した劇場で、大正6年(1917)の竣工だそう。

https://www.city.hitachi.lg.jp/shisetsu/010/006/p000123.html

 

左右に唐破風、蟇股(笈形)の妻飾り。

国登録有形文化財、日立市有形文化財となっている。

 

その後は日立市郷土博物館を目指したが、駐車場は「かみね公園」と共用で、なぜかとても混んでいて山頂の駐車場まで誘導されてしまった。

 

おかげで展望台からの眺めが得られたが。

中央右よりの道路右に日立市庁舎の屋根が写っている。

 

ズームで。丸く光っているのは駅前の日立シビックセンター。

 

反対側には、かみねレジャーランドのジェットコースター。

 

左奥に「大煙突」も見えた。

 

大煙突の解説も。最近、映画の公開に合わせて設置されている。

大煙突
大正3年(1914)3月着工・12月本体完成
大正4年(1915)3月稼働
明治38年(1905)久原房之助が日立鉱山を創業しました。最新技術の導入や大規模製錬所の建設などにより、日立鉱山は国内の四大銅山に数えられるまでに発展しました。一方で、当時の銅精錬の宿命であった亜硫酸ガスにより、周辺地域の農作物や草木が枯れる煙害が発生してしまいました。煙害解決のために「神峰煙道」や「だるま煙突」が建設されましたが解決には至らず、入四間村(現日立市)など精錬所に近い集落における被害は深刻を極めました。
そのような中、久原は高い煙突をつくり、煙を高層気流で拡散する案にたどり着きます。当時の常識を覆すこの案には反対の声も多くありましたが、久原は「日本の鉱業発展のための一試験台」として、気象観測などの科学的知見を積み上げ、政府や部下を説得し、煙突の建設に踏み切りました。
大正3年(1914)12月20日、当時世界一の高さ155.7mを誇る「大煙突」がついに完成、翌年3月に稼働しました。この「大煙突」の完成を契機として、煙害は激減していったのです。
その後、荒廃した山々の自然回復のため、煙に強いオオシマザクラ、ヤシャブシなど1千万本を超える苗木が植林されました。さらに学校や道路などにはソメイヨシノが植えられ、これが「桜のまち日立」の原点となりました。
長い年月、日立のまちを見守ってきた大煙突ですが、平成5年(1993)2月19日に、およそ3分の1を残して倒壊し、市民に衝撃を与えました。しかし、今でも大煙突の凛とした姿は、先人の想いを鉱工業都市として発展した日立市の誇りを伝えています。
映画「ある町の高い煙突」完成記念 平成31年3月31日設置 日立市

 

その映画「ある町の高い煙突」は6月22日から公開中。

https://www.takaientotsu.jp/

 

オリジナルの高さ(今の3倍)の写真も。

 

 北東方向の眺め。

 

小名浜港や五浦海岸も見えていたか。