墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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藪塚町立歴史民俗資料館 群馬県太田市藪塚町

北山古墳の見学後は、丘を下りて温泉街の中にある資料館を訪ねた。 

 

校倉造り風の堂々とした建物。

 

地元の温泉旅館・今井館の館主(考古学者)が父子二代で県内外から収集した埋蔵文化財などが旧藪塚本町に寄贈され、昭和53年(1978)に開館した資料館だった。

 

一階入り口で入館料100円を納めて中へ。

階段脇に街道橋古墳出土の陶棺が置かれている(手ブレが酷いですが…)

 

二階展示室へ。撮影は最近OKになったと伺った。

 

ガラスケースに埴輪が並ぶ。

 

太田市内出土の人物埴輪たちは、なかなか壮観。

左右両端の2体は成塚町の業平塚古墳出土と記されていた。左の少年は真ん中分けの現代風ヘアスタイル。

 

出土地はわからなかったが、朝顔埴輪型の甕棺も。

 

台に直接置かれるものもあった。左は薮塚町・榎八幡遺跡出土の馬形埴輪。

 

中央の鷹匠埴輪はとてもよくできたレプリカ。

実物は世良田の新田荘歴史資料館で展示されていて、5年前に拝見した。

 

 鷹というより小鳥の雰囲気だが、鷹匠も優しい笑顔。

 

 富沢古墳群などから出土した装飾品類。

 

装飾品を身に着けた女子埴輪の一部(新田館北西古墳出土)や、子持勾玉も。

 

右は業平塚古墳出土の剣の部品。緑青があるが良い状態なのでは。左奥は腕輪。

 

 割地山古墳や西長岡横塚第188号古墳などから出土した小札甲(よろいの一部)

 

こちらは昭和27年(1952)の石田川・米沢川の堤防構築工事で発見された古墳時代前期(3世紀後半~4世紀)の石田川式土器。

S字状の口縁をもつ台付甕の形は、もともと東海地方西部で成立して人の移住などによって東日本に波及した外来性の土器群とされるそうだ。

 

弥生土器も充実。

 

 こちらは縄文期の土偶。

 

縄文時代後期~晩期(4500~2300年前)の岩版(石之塔遺跡出土)
英語ではMagicak rock wareとあったが、 護符(おまもり)と考えられているそうで、三叉文や渦巻文などの模様が彫られている。

裏側に文様はなく表裏の区別があるとのことだた、縄文晩期に東北を起源として関東にも分布するそうだ(下記公式サイト解説より)
http://www15.plala.or.jp/yaburekimin/shiryoukan.syuuzou.html

 

新田郡衙関連コーナーも。 

 

後程そばを通ったが、ここから約4㎞南に古代東山道(下新田ルート)が東西方向に伸びていて、その北側に面して新田郡家(ぐうけ:7世紀後半から9世紀代の上野国新田郡の役所で郡衙も呼ぶ)が存在した。

 

外に出て、西山古墳を目指して歩き始める。北山古墳のそばの「石切り場跡」に興味を引かれたが次の機会とした。

 

その先、道路沿いにあった阿弥陀堂。江戸期の阿弥陀三尊像(善光寺式)が納められているようだがよくわからなかった。扉の前から中を覗いているとブザーがなって驚いた。

 

その50m先を右折すると西山古墳への登り路。