墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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北山古墳 群馬県太田市藪塚町

前回のつづき。

太田駅から桐生方向に3駅目の藪塚駅で下車。「藪塚(やぶづか)」なんて、いかにも古墳に縁がありそうな名前。

 

太平記の里・やすらぎの温泉郷というサブタイトルで観光案内板が出ていた。

北山古墳・西山古墳の位置も記される。

温泉地だけあって、駅前にタクシーが待っていたので迷わず乗車。無口な運転手さんだったが「北山古墳へ」で、すぐに了解された。

 

 グーグルマップには徒歩19分と出ていたが、結構坂を登ったので実際は歩くともっとかかりそう。

 

こちらが古墳へ入口。階段脇の説明板は判読困難。

 

振り返っての風景。大きな建物は介護付き老人ホーム。

 

階段はストレートに結構続いていた(振り返って)

 

上がった先には横穴式石室が開口する円墳があった。

 

立派な石柱と説明板。

群馬県指定史跡 北山古墳
指定年月日:昭和24年(1949)12月20日
所在地:太田市藪塚町3442-2
北山古墳は、八王子丘陵から藪塚温泉の入口北側に伸びる丘陵中央部の標高135mの地点に造られた円墳です。
墳丘の直径は22m、高さは4mです。墳丘の斜面に多くの凝灰岩が確認できますが、葺石が行われていたかは不明です。また、埴輪は確認されていません。
埋葬施設である横穴式石室は、凝灰岩を使用した両袖形の石室で、南側が入口になります。石室の大きさは、奥行3.7m、間口1.8m、高さ2.1mです。石室は、玄門を持ち、奥壁には、漆喰を塗った跡が確認されています。なお、石室は盗掘を受けていたため副葬品等は不明です。
かつては、北山古墳と、その南西650mの尾根先端部にある西山古墳との間に多くの古墳が存在していましたが。現在では、その痕跡をわずかに残しているにすぎません。
この古墳は、石室に漆喰が塗られていたことなどから、古墳時代後期(7世紀代)に造られたと考えられています。
平成28年3月25日 太田市教育委員会

 

石室の図の部分。

 

この日初めての入室。

※虫がだめな人はここから先はパスしてください。

 

かがんで進める高さ。

 

フラッシュを焚いてひるむ。

撮った写真を確認したときは画面が小さいので気付かなかった。

ポトポト音がするのが、最初は水が漏れているかと勘違いしたが、2回目のフラッシュで光に驚いて下に落ちたカマドウマであることがわかった。こちらの方が驚かせてしまっていた。

 

玄門の先には見事な奥壁が見えるが…

 

光を当てなければ落ちてはこないようだったので、壁や天井に触らないようにして玄室内へ。

 

奥壁をフラッシュで。

 

ポトポトが収まってから奥壁前へ。そこから開口部を。

 

フラッシュを焚くとびっしり写っていた。

 

玄門上の大きな石とその上の天井石。

 

玄門に向かって左側。

 

向かって右側。

 

外に出て深呼吸。

 

開口部の反対側から。

 

隣の敷地とは鎖で仕切られている。

 

ぐるりと一回り。

 

隣の敷地の立派な門。特に結界はなかったので入ってみた。

 

石室または石垣のような構造物があって興味を引かれた。

 

帰路、坂道を下りて藪塚温泉街にある歴史資料館を目指した。

振り返っての風景で、中央奥が北山古墳のはず。