墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

代田山狐塚古墳~代田山獅子塚古墳 長野県飯田市松尾代田 古墳と桜の飯田紀行(12)

代田山狐塚(だいたやまきつねづか)古墳(への入口)は、くよとの枝垂れ桜のすぐ北にある。

 

桜の下からの道が小川を渡る前で左側を向く。

 

カーブミラーの後ろに古墳への登り口が。

 

道を隔てては「じがい坂」

 

古墳への道はなかなかの急登だった。マップではすぐ先だが・・・

 

右はまだ墳丘ではない。

 

回り込んでいくと、林の中に膨らみがあった。

 

立派な現地説明板も。 

長野県史跡 代田山狐塚古墳
平成6年2月17日指定
代田山狐塚古墳は、自然地形を巧みに取り込んで形づくられた南面する前方後方墳である。墳丘は、前方部がある南側と後方部の東側がともにかなりの傾斜面であったため、他の部位に比べて高度差が顕著に認められる。その結果最高地点の標高が466.32mを測る後方部と、前方部との比高は3mという大差となる。また後方部北西の裾線から計画した後方部高が2.87mであるのに、東裾からは5.3mとなっている。低地から見上げる側、すなわち東側からの高さを意識して築かれている。
現状での墳丘平面形は、後方部の幅が東西南北ともおよそ28m、くびれ部幅およそ12m、全長44.5mほどである。
なお、本古墳の北側には丘尾と墳丘を画して、また西裾の平坦面にも墳域を画して、幅は6~7mの周濠がL字形にめぐっていたと考えられる。
代田山狐塚古墳は測量の結果、従来考えられてきた後期の前方後円墳ではなく、前期(4世紀)の前方後方墳であることが明らかになった。これにより長野県下ではほとんど時差をもつことなく、北信・東信・中信・南信とも古墳の築造が始まったことが確かめられた。
代田山狐塚古墳は、県内最古に属する数少ない前方後方墳の一つとして、国家形成期の長野県域史を解明するうえで、南の窓口でもあり極めて重要な位置を占める古墳といえる・
平成9年2月24日 長野県教育委員会 飯田市教育委員会

 

実測部のアップ。 

 

後方部上から前方部方向。

 

後方部からその先を。

 

前方部上から後方部。

 

鞍部のあたり。

 

後方部の裾(左手前)から前方部(右奥)

 

後方部裾(右)と、その北の周壕跡(?)

 

後方部先端側から東側の裾。地形は東(左)へ下っている。

 

木々を透かした東側。

 

東側の裾をひと巡り。

 

西側からパノラマで。

 

そろそろみなさんも、目がチカチカしてきたかと思います。

 

麓に戻って、墳丘のある方向を振り返る。

 

裾を流れる小川は勢いがあった。

 

小川に沿って400mほど下ると、代田山獅子塚古墳のそばに出る。国道151号から見えた姿。

 

上記の枝道を入った先から。左が前方部、右が後円部。

 

畦道を伝って前方部裾へ。獅子塚と刻まれた石碑が立つ。墳丘は梅園のようだった。

 

フェンスで仕切られた先の後円部側は個人宅の庭園となっていた。

 

再度国道151号からズームで。

冊子「飯田は古墳の博物館」によれば、代田山獅子塚古墳は全長61mの前方後円墳で、後円部径44.4m・高さ7.95m、前方部幅20.0m・高さ5.50m。

横穴式石室があったとされるが現在は不明で、後円部の様子から前方後方墳の可能性も指摘されているそうだ。刀剣・玉類・鈴・須恵器・土師器・埴輪などが出土している。

 

そこから一旦南東に300mほど戻って、飯田線毛賀駅へ。

 

時間帯によっては2時間来ない。

 

乗るのは一駅先の伊那八幡までだが、誰もいない待合室で20分ほど休んだ。