前回のつづき、秩父シリーズの最終回。
墳行の参考にした下記の本でも紹介されていた狐塚古墳へ。
グーグルマップを見ると、近く(徒歩18分)に「氷雨塚古墳」 のピンも立っていたので先にそちらへ向かう。
ルートがヘアピン形なのは、荒川に架かる橋まで比高差50mを下りるからだった。
荒川に架かる「柳大橋」の手前で。柳の若葉に癒された。
橋を渡って振り返る。柳の後ろには武甲山。
その先の住宅街の中に、葺石に覆われた墳丘があった。
開口していたが、高さは脛程度。
奥は広そうだったが入るには足から、身体を伸ばして”匍匐後進”する必要がある(と言い訳・・・)
フラッシュだと奥壁の巨石も写ったが、自分は潔く(?)敗退。
墳頂の祠には水神様が祀られているようだ。
そこからは武甲山がきれいに望めた。
最後に訪ねた狐塚古墳。
氷雨塚古墳との直線距離は750mほどだが間には荒川が刻む谷があり、もと来た柳大橋やヘアピン坂を影森駅近くまで辿って”大回り”をする必要があった。
二階家ほどの堂々とした高さで、墳頂に小屋が載る。
すぐそばに見えているのだが・・・
こちらは畦道のない畑。
小屋の正面側だが明らかな個人宅。
前出の本によれば、氷雨塚古墳は直径24m・高さ4mの円墳で7世紀の築造。秩父地方に現存する墳丘では最大規模とのこと。
周囲を大きく一回りしてみたものの、結局狐塚古墳には近寄ることもできなかった。
その”周囲”から見た武甲山。
北側斜面が削られて、まるで巨大なピラミッド。
再び前出の本によれば、この地に産出する緑泥片岩は荒川を下った行田地方の八幡山古墳・小見真観寺古墳・地蔵塚古墳や、東京湾を渡った木更津の金鈴塚古墳などの石室石棺石材として広範囲に使われたとのこと。
狐塚古墳の被葬者は、特産の緑泥片岩とどのように関わっていたのだろうか。
最後の2ヶ所は、入れなかった石室と、近寄れなかった墳丘とになったが、”想像”で楽しませていただいた。
駅前の影森小学校の校庭の遊具に目を奪われた。丸くなった羨道!
影森駅で急行さくら号に乗車。ぎりぎりだったので駅舎と撮りそびれる。
ゆったりした車内で旅行気分に。
秩父路フリーキップ(1440円)を利用したが別途急行券(200円)が必要。なお、ICカードは使えない。
車窓からの「和銅」
荒川橋梁、下流方向。
山の斜面に桜が点在。
沿線の貯木場。
大麻生駅のあたりの沿線に見事な桜並木があったが、三分咲きくらいだった。