前回のつづき。
秩父鉄道のガードをくぐってから、目的地の大野原古墳群までは徒歩19分。
途中で横瀬川を越えるので多少のアップダウンがあったが、天気がよかったので気持ちよく進む。
空き地に咲く桜もきれいだった。
目印にした招魂社に到着。
こちらの「さいたま古墳めぐり」の手書き地図を参考に周囲を探す。
まずは駐車場の中に残る1基。
反対側から。
そこから少し迷って、3基が並んで残る場所へ。
前出の本によれば、大野原古墳群は7世紀後半から8世紀初頭頃に築造された円墳。調査された古墳からは人骨2体分が検出されたほか、かつて蕨手刀・直刀・鉄鏃などが見つかっているそうだ。
上記の背面、枝道沿いに1基。
別の角度から。
こちらの1基は開口部が見え、そこには屋根も架かっていた。
屋根の下に入ると、卒塔婆があって驚いた。
卒塔婆には古墳諸聖霊とあったので、祈る気持ちで入らせていただいた。倒れているものもあったので踏まないように気をつけながら。
平石が整然ときれいに積まれている。
奥壁の前で。上部は後補か。
側壁の様子。
奥壁前から入口。
フラッシュで。
天井石を失っているので圧迫感は感じられないが、重しが無いので積まれている石が倒れてくる怖さはあるかも知れない。
外の世界に戻って一息。
満開一歩手前の見事な桜だった。
もう1基の墳丘にある桜はちょうど満開。こちらは開口していない。
振り返って先ほどの古墳。
畑の反対側から見た2基。
前出の「さいたま古墳めぐり」には、他にも数基が桑畑の中に残るとあったが、桑畑自体が無かった。場所的にはこの太陽光パネル辺りか。
その背後の空地の奥に、気になる石積みが見えた。
グーグルマップで最寄り駅を探すと「武州原谷」駅があったので、 行ってみるとホームがない。
そこは、秩父太平洋セメントの本社・工場だった。
Wikipediaの「武州原谷駅」をみると、群馬県の叶山鉱山から延長23kmの地中式ベルトコンベアーで輸送された石灰石が当駅で貨車に積み替えられ、三ヶ尻駅(太平洋セメント熊谷工場)へ運ばれるそうだ。(武甲山の石灰岩は東に23km、高麗川駅の北の太平洋セメント埼玉工場まで同じく地中式ベルトコンベアーで送られている)
とすると、そのまま合流させて46km送れそうだが事情があるのだろう。
1kmほど南の大野原駅まで歩く。途中にセメント工場へ続いていた高架が。
鉄橋が外された跡。
橋脚のコンクリは、さすがにしっかりしていた。
鋼材が残っているところも。
大野原駅の近く、街道沿いの大きな家。 明治初期(5~17年)の大野原村・戸長役場で、江戸時代に名主だった大野満徳が自宅を役場とした、と説明板にあった。
隣に建つ家は昭和初期的モダン。
秩父鉄道 大野原駅に到着。
長瀞方面のホームはなかなか広かった。
隣の島式ホームへ渡って、この日の最後の目的地・3駅先の影森へ向かった。